主義・運動
新版画
しんはんが
新版画(しんはんが)は、大正から昭和のはじめにかけて盛んになった木版画の運動、およびその作品。版元の渡邊庄三郎が1915年(大正4年)に始め、浮世絵と同じ絵師・彫師・摺師の分業による彫りと摺りに、同時代の画家の新しい表現を合わせた。画家がみずから彫って摺る創作版画とは、この分業を守る点で異なる。伊東深水らの美人画、川瀬巴水や吉田博の風景画、山村耕花・名取春仙の役者絵、小原古邨(祥邨)の花鳥画などが作られ、関東大震災のあとはほかの版元も次々に加わって、とくにアメリカでよく売れた。
出典: 西山純子「「新版画」とは何か。国内有数のコレクションを持つ千葉市美術館の学芸員・西山純子に聞く」(美術手帖、2022年10月29日、2026-10-11 取得) https://bijutsutecho.com/magazine/insight/26219、国立新美術館アートコモンズ「千葉市美術館所蔵 新版画 進化系UKIYO-Eの美」山口県立萩美術館・浦上記念館 会場(2022年4〜6月)の展覧会概要(2026-10-11 取得) https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/70108、国立新美術館アートコモンズ「川瀬巴水・吉田博・伊東深水 世界を魅了した木版画 新版画 進化系UKIYO-Eの美」千葉市美術館 会場(2022年9〜11月)の展覧会概要(2026-10-11 取得) https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/71609、国立新美術館アートコモンズ「THE 新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」ひろしま美術館 会場(2022年7〜8月)の展覧会概要(2026-10-11 取得) https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/71123、en.wikipedia「Shin-hanga」(2026-06-23 版、2026-10-11 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Shin-hanga
年表・沿革
1915
- 渡邊庄三郎が、第一次世界大戦で帰国できずにいたオーストリアの画家フリッツ・カペラリと組んで新版画を始め、この年のうちに12点を仕上げた。
- 橋口五葉が渡邊の勧めで最初の木版画《浴場の女》を制作し、日本人の画家による新版画の第一作となった。
1916
- 18歳の伊東深水が《対鏡》を出して新版画に加わり、以後も渡邊と多くの版画を作った。
1918
- 川瀬巴水が深水の木版画にひかれて渡邊のもとで版画を始め、最初の3点を出した。
1921
- 6月、渡邊が日本橋の白木屋呉服店で「新作板画展覧会」を開き、それまでに出した11人の作家の150点を披露した。
1923
- 9月1日の関東大震災で京橋の渡邊の店が全焼し、新版画の版木と作品の大半が失われた。
1930
- アメリカのトレド美術館が吉田博の協力を得て、新版画の主要な画家10人の343点を並べる当時最大の展覧会を開き、全米10館を巡回させた。
1962
- 版元の渡邊庄三郎が没し、戦後は規模を小さくして続いていた新版画の制作は一つの時代を終えた。
関連人物
- 先駆者 ヘレン・ハイド 1900〜
アメリカの版画家。1899年に来日し、日本の彫師・摺師とともに木版画を作った
- 先駆者 バーサ・ラム 1907〜
アメリカの版画家。1907年に彫師の伊上凡骨と摺師の西村熊吉に学び、初めての多色木版画を作った
- 創始者(版元) 渡邊庄三郎 1915〜
1909年に東京・京橋で渡邊版画店(今の渡邊木版美術画舗)を開いた浮世絵商
- フリッツ・カペラリ 1915〜
1915年に渡辺庄三郎と組んで木版画12点を作り、新版画の最初の画家となった。
- 名取春仙 1916〜
1916年に渡辺版画店から役者絵《初代中村鴈治郎の紙屋治兵衛》を出し、山村耕花とともに新版画の役者大首絵を代表した。
- 山村耕花 1916〜
1916年に渡辺版画店から《十一代目片岡仁左衛門の大星由良之助》を出し、以後多くの役者絵の新版画を手がけた。
- チャールズ・バートレット 1916〜
1915年に自分の水彩のスケッチを渡辺庄三郎のもとに持ち込み、翌1916年に新版画21点が出た、カペラリに次ぐ外国人の新版画の画家。
- 吉川観方 1916〜
1916年に京都で初めて木版の役者絵を作り、関西の新版画作家として役者絵・風景画・美人画の版画を残した。
- 川瀬巴水 1918〜
1918年に渡辺版画店から最初の風景版画を出し、新版画の運動の代表的な作家の一人に数えられる。
- 笠松紫浪 1919〜
1919年に渡辺版画店から《青嵐》を第一作として出して戦前に数十点の新版画を手がけ、戦後も芸艸堂などから風景版画を出した。
- エリザベス・キース 1919〜
1919年に版元の渡辺庄三郎に木版画を勧められ、同じ年から渡辺版画店で日本や朝鮮などの風景と人々の木版画を作った。
- 北川一雄 1919〜
鏑木清方の門人で、1919年に渡辺版画店から新版画《竹林の初夏》を出した。
- 吉田博 1920〜
1920年に渡辺版画店から初めての木版画を出し、1925年からは彫師・摺師を雇って自ら版元となる私家版で作った。1930年にはアメリカのトレド美術館が、吉田の協力を得て新版画の画家10人の展覧会を開いた。
- 高橋松亭(弘明) 1921〜
明治末から渡辺庄三郎と輸出向けの「新作版画」を作り、1921〜22年の「都南八景」などから新版画を手がけた。
- 伊藤孝之 1922〜
1922年に渡辺版画店から初めて風景の新版画を出し、1932年の渡辺版画店主催の現代創作木版画展覧会にも出品した。
- 中澤弘光 1922〜
1922年から金尾文淵堂や西宮書院、加藤版画店から木版の風景画を出し、新版画の作品を残した。
- 小原古邨 1926〜
1926年ごろから、渡辺版画店の渡辺庄三郎の求めで「祥邨」の名で花鳥画の新版画を描いた。同じ年にブルックリン美術館の日本の新作版画展に作が並び、1930年のトレド美術館の「日本現代版画展」では、会場で最も多く買われた。
- 上原古年 1928〜
1928年に渡辺版画店から新版画の《道頓堀》を出し、1932年の渡辺版画店主催の現代創作木版画展覧会にも出品した。
- 鳥居言人 1929〜1936
1929〜36年に、酒井・川口の合版や川口、池田から美人版画を出した(全22図)。1936年1月には、トレド美術館の新版画の展覧会に版画17点が並んだ。
- 小早川清 1930〜
1930〜31年の私家版の美人画の連作「近代時世粧」をはじめ、渡辺版画店などから新版画の美人画を出した。
- 浅野竹二 1930〜
1930年ごろから彫師・摺師との分業による名所絵の新版画を作って芸艸堂から出し、並行して自画・自刻・自摺の創作版画も作った。
- 画商・収集家 ロバート・ムラー 1932〜
1932年に川瀬巴水《清洲橋》から集め始めた。明治の錦絵も含めて4000点を超えるコレクションは、没後にスミソニアン協会のアーサー・M・サックラー・ギャラリーへ寄贈された
- 楢崎栄昭 1932〜
扶陽の号で輸出向けの小判の版画の下図を描いたのち、1932年から栄昭の号で渡辺版画店から大判の風景の新版画を出した。
- 平野白峰 1932〜
1932年に渡辺版画店から美人画の新版画《湯上り》《鏡の前》を出し、1936年のトレド美術館の日本現代版画展にも出品した。
- ポール・ジャクレー 1934〜
1934年に加藤版画研究所から初めての新版画の連作「虹」を出し、自らの版画研究所で彫師・摺師と南洋や朝鮮などの人々を描く木版画を作った。
- ノエル・ヌエット 1936〜
1936年に土井版画店から東京の風景の新版画の連作「東京風景」を出した。
- ピーター・アーヴィン・ブラウン 1936〜
1936年ごろ渡辺版画店とアダチ版画研究所から木版の風景画を出し、1940年に日本を離れるまで渡辺の新版画の下絵を描いたといわれる。
- 大野麦風 1937〜1944
1937〜44年に、新版画の版元の西宮書院から木版画集『大日本魚類画集』を出した。
- 井出岳水 1949〜
1949年から渡辺庄三郎と組んで鶴や鷺の花鳥画の新版画を作った。
- 奥山儀八郎 1949〜
1949年から自ら営んだ日本版画研究所で、彫師・摺師との分業による新版画を作った。
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渡辺版画店・土井版画店をはじめ七つの版元から新版画を出した。戦後は新しい新版画を作らなかった。
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版元の青果堂から美人画の木版画「廓の春秋」4枚組を出し(1918年とする資料と、1914〜18年頃とする目録がある)、1925年頃には大阪の版元の根津清太郎から《鷺娘》などを出した。
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昭和の初めに渡辺版画店から女優を描いた木版画を出し、「辰重」の名で映画女優の新版画も作った。
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1924年に雑誌『婦人グラフ』の表紙絵・口絵として出した木版画《秋のしらべ》などは、浮世絵の技法による新版画とされる。
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師の川瀬巴水の縁で渡辺庄三郎と知り合って東京や横浜の風景の新版画を作り、1930年代には加藤版画店からも出した。
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昭和の初めに名古屋で、モダンガールを描いた美人画の新版画の連作「昭和美女姿競」を作った。
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1910年代の木版画の連作「東京十二景」など、彫師の伊上凡骨と分業で作った浮世絵の形の版画は新版画に分類される。
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雪岱の木版画は、生前のものより没後に高見沢木版社などから出たもののほうが多く、新版画に分類される。
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鳥居派の芝居絵を学んだ画家で、渡辺木版美術画舗から新版画の作品を出した。
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1930年代には父の吉田博に近い風景版画を作り、連作「夜の東京」(1938年)で新版画の都市風景を第二世代へ引き継いだとされる。
