団体
日展(日本美術展覧会)
にってん
日展(にってん)は日本美術展覧会の略称で、1946年(昭和21年)に文部省が戦前の文展・帝展・新文展を継いで始めた美術展覧会と、それを開く団体を指す。1949年からは日本芸術院と、日本芸術院会員の有志でつくる日展運営会が共同で主催し、1958年に社団法人日展が日本芸術院から離れて、民間の団体として運営するようになった。日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5部門をもつ国内最大規模の総合美術展で、2012年からは公益社団法人日展が毎年秋に開いている。
出典: 日展 公式サイト「組織概要・沿革・定款等」(2026-10-11 取得) https://nitten.or.jp/org_profile、コトバンク「日展」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・百科事典マイペディア・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・旺文社日本史事典、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/日展-592350、ja.wikipedia「日展」(2026-05-09 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/日展、日展 公式サイト「日展の歴史と現在(いま)」(2026-10-11 取得) https://nitten.or.jp/history/
年表・沿革
1946
- 文部省の主催で、春に日本画・西洋画・彫塑・美術工芸の4部制による第1回日本美術展覧会(日展)を開き、秋に第2回を開いた。
1948
- 第4回日展から日本芸術院の主催に変わり、書の部を新たに設けて5科制にした。
1949
- 日本芸術院会員の有志が日展運営会をつくり(会長は高橋誠一郎)、第5回日展から日本芸術院と共同で主催した。
1958
- 4月26日に日本芸術院から離れて社団法人日展を創立し、11月に民間の団体として、あらためて第1回日展を開いた。
1969
- 3月の総会で、75歳以上の会員を顧問に退かせるなど機構と人事を改め、辻永に代わって山崎覚太郎が理事長となり、この年の展覧会を改組第1回日展とした。
2007
- 東京会場の展覧会を、上野の東京都美術館から六本木の国立新美術館に移した。
2012
- 4月1日、内閣府から公益社団法人への移行の認定を受けて、公益社団法人日展となった。
2014
- 書の篆刻部門の審査の不正が報じられ、2013年の日展で文化庁が後援をやめたのを受けて組織を改め、展覧会を改組 新 第1回日展として開いた。
関連人物
- 審査員・出品者 鏑木清方 1946〜1949
1946年の第1回日展で審査員を務め、《春雪》を出した。1948年の第4回展に画巻《朝夕安居》を、1949年の第5回展に師の水野年方を描いた《先師の面影》を出し、これが最後の官展出品となった。
- 審査員 上村松園 1946〜
1946年の第1回日展で審査員となったが、作品は出していない。この回は芸術院会員が審査員にあたり、京都の日本画家たちは材料と期日の不足を理由に出品しなかった。
- 日展運営会の会長 高橋誠一郎 1949〜
経済学者。1948年から日本芸術院長を務めた
- 審査員・参事・監事 石川寅治 1949〜1964
1946年の第1回日展から出品し、1949年から審査員をたびたび務めた。1950年に参事、1958年に社団法人日展の監事になり、亡くなったときも監事だった。
- 常務理事・顧問 野田九浦 1949〜
1949〜1954年に日展運営会の常務理事を務め、1958年に社団法人となった日展の顧問を務めた。
- 出品者 鳥居言人 1952
第8回日展に美人画《髪》が入選した。
- 社団法人日展の初代理事長 辻永 1958〜
1949年に日展運営会の常任理事となり、1958年から1969年まで社団法人日展の理事長を務めて「日展の法王」と呼ばれた
- 理事長 山崎覚太郎 1969〜
1969年の改組で辻永に代わって理事長となり、1974年に会長となった
- 理事長 奥田小由女 2014〜
2014年に理事長となり、公益社団法人日展の改革を進めた
- 理事長 宮田亮平
金属工芸家。奥田小由女の後を継いで公益社団法人日展の理事長となった
