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鳥居言人

鳥居言人

とりいことんどTorii Kotondo
7 作品

鳥居言人(とりいことんど、1900〜1976)の《朝寝髪》は、100部限定の予定だったが、70部を摺ったところで警視庁に没収された。発禁となったこの美人版画で知られ、歌舞伎の絵看板や舞台美術も手がけた絵師である。

明治33年(1900年)、東京・日本橋に生まれた。父の四代目鳥居清忠は鳥居派七代目で、劇場の絵看板などを描いた。

雑誌「演芸画報」の大正3年(1914年)3月号には、言人の最初期の挿絵が載っている。同じ号の表紙は父が描いている。

大和絵の画家小堀鞆音に、絵と古い儀式や装束の知識を学んだ。その後、美人画家鏑木清方のもとで女性を描く修業を重ねた。若い頃には、鳥居派の家業に反発していたとも伝えられる。

美人版画は昭和4〜11年(1929〜36年)に22図を刊行した。初めは酒井・川口の共同出版や川口の単独出版で、昭和6年(1931年)からは池田に移った。

どれも浮世絵の分業による木版技法を受け継ぐ新版画である。化粧や髪梳きでは、女性の身支度を題材にした。

《朝寝髪》は昭和6年(1931年)11月に池田から出た。題は一夜眠ったあとの髪を指す古い歌語で、「万葉集」にも見える。女は寝床に横たわり、手ぬぐいをかけた木の枕に両手を重ねている。背後の緑の地は蚊帳だ。

池田は限定部数を守るため、100枚を摺ると彫師に輪郭線の版木を傷つけさせた。その版で摺った墨一色の一枚を、証として客に渡していた。

《朝寝髪》が発禁になった理由は、はっきりしない。売れ残った摺りは没収され、新版画のなかでも特に稀少な一枚になった。昭和11年(1936年)、アメリカのトレド美術館の展覧会に言人の版画17点が並び、《朝寝髪》も出品された。

言人はのちに鳥居派八代目となり、父の名跡を継いで清忠を名乗った。「清言」と「清忠」の名を使い分け、戦前から戦後にかけて劇場の絵看板を数多く描いた。

歌舞伎や日本舞踊の舞台美術も手がけ、昭和41〜47年(1966〜72年)には日本大学芸術学部演劇科で舞台美術を教えた。

昭和51年(1976年)7月13日、75歳で没した。令和8年(2026年)、太田記念美術館で没後50年の回顧展が開かれ、美人版画22図がそろって並んだ。

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