団体
巽画会
たつみがかい
巽画会(たつみがかい)は、1896年(明治29年)に東京・深川に住む村岡応東・遠山素香・大野静方の3人が発起人となって始めた美術団体。松本楓湖が顧問を務め、楓湖の門下生を中心に、新しい傾向の若い画家たちの拠点となった。上野の竹の台で展覧会を開くまでに育ち、明治の末には横山大観・鏑木清方・菱田春草・上村松園らが審査員を務め、今村紫紅・速水御舟・伊東深水らが作品を発表した。1914年には洋画部を設け、中川一政が初めての油絵《酒倉》を出して入選している。
出典: ja.wikipedia「巽画会」(2026-06-01 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/巽画会、国立アートリサーチセンター「日本アーティスト事典(DAJ)」巽画会(アートプラットフォームジャパン、最終更新 2025-03-11、2026-10-11 取得) https://artplatform.go.jp/ja/artists/A6376、ja.wikipedia「松本楓湖」(2025-11-04 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/松本楓湖、ja.wikipedia「今村紫紅」(2026-06-15 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/今村紫紅、「横山大観」『日本美術年鑑』昭和34年版、東京文化財研究所 物故者記事(年譜つき、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8862.html、コトバンク「速水御舟」(日本大百科全書(原田実)・改訂新版 世界大百科事典・20世紀日本人名事典・百科事典マイペディア、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/速水御舟-14682、「伊東深水」『日本美術年鑑』昭和48年版、東京文化財研究所 物故者記事(作品年譜つき、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9336.html、「梅原龍三郎」『日本美術年鑑』昭和62・63年版、東京文化財研究所 物故者記事(2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10082.html、「中川一政」『日本美術年鑑』平成4年版、東京文化財研究所 物故者記事(年譜つき、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10408.html、コトバンク「中川一政」(20世紀日本人名事典・日本大百科全書(小倉忠夫)・百科事典マイペディア・日本人名大辞典、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/中川一政-17200
年表・沿革
1896
- 深川に住む村岡応東・遠山素香・大野静方の3人が発起人となって発足し、松本楓湖が顧問を務めた。
1906
- 今村紫紅と高橋広湖が評議員となった。
1908
- 4月に第8回展を開き、横山大観が審査員に選ばれた。
1910
- 鏑木清方・菱田春草・今村紫紅・上村松園・安田靫彦ら、東京と京都の画家が審査員を務めるようになり、この年の展覧会に速水御舟が初めて作品を出した。
1911
- 速水御舟がこの年の展覧会に出した《室寿の讌》が一等褒状を受け、宮内省に買い上げられた。
1914
- 洋画部を新たに設けて梅原龍三郎が審査員を務め、10月の第14回展では中川一政の初めての油絵《酒倉》が入選した。
1915
- 3月の第15回展で、中川一政と椿貞雄が最高賞にあたる二等銀牌を受けた。
関連人物
- 発起人 村岡応東 1896〜
松本楓湖の門人。山水画・花鳥画を得意とした
- 発起人 遠山素香 1896〜
- 発起人 大野静方 1896〜
水野年方の門人。のちに挿絵画家として活躍した
- 評議員 高橋広湖 1906〜
1899年に会に加わり、1910年には審査員を務めた
- 評議員 今村紫紅 1906〜
1910年には審査員を務め、この年の第10回展に《達磨(説法)》を出した
- 終身会員、審査員 尾竹竹坡 1908〜
1908年に終身会員として入会し、文展と並ぶ活動の場とした。1910年から展覧会に出品して審査員も務め、1911年の第11回展で《梅》《太子》が1等賞を受けた。1912年の第12回展には《九冠鳥》を出した。
- 野田九浦 1910〜1913
第10回から第13回の展覧会で審査員を務めた。第10回・第11回には《天平美人》を出品した。
- 大阪支部の会員 北野恒富 1910〜
1910年に巽画会の大阪支部に加わった。1911年の第11回展に出した《賃仕事》が三等銅賞を受けたとされる。
- 審査員 菱田春草 1910〜
1910年3月の第10回絵画展覧会に《雀に鴉》を出して二等銀賞第一席を受け、同展の審査員も務めた。
- 審査員 鏑木清方 1910〜
1910年から菱田春草・上村松園・安田靫彦らとともに審査員を務め、1912年の第12回展に二曲一双の《若き人々》を出した。
- 審査員・出品者 上村松園 1910〜
ja.wikipedia は、1910年から鏑木清方・菱田春草・今村紫紅・菊池契月・安田靫彦らとともに審査員にあたったとする。『日本美術年鑑』の略年譜は、同じ1910年の第10回展に出した《花》が2等銀賞を受けたと書く。
- 出品者・会員 山川秀峰 1915〜1918
1915年3月の第15回展に出した《幕あひ》が褒状一等を受け、同じ年の5月と7月の研究会でも《總見》が一等賞、《仲間はづれ》が二等賞を受けた。1918年6月の会員名簿に名が載る。
- 顧問 松本楓湖
楓湖の画塾、安雅堂の門下生が会の中心となった
- 経営 南米岳
京都にまで会の範囲を広げた
