期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%

主義・運動

シュルレアリスム

しゅるれありすむ

シュルレアリスム(しゅるれありすむ)は、1924年にフランスの詩人アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を出して始まった文学・芸術の運動で、「超現実主義」と訳される。1919年にブルトンがフィリップ・スーポーと試みた自動記述を出発点に、理性や美学・道徳の制約を離れた「思考の書き取り」を唱え、美術ではコラージュやフロッタージュなどの手法で夢や無意識をイメージにした。パリを中心とした運動は1930年代には国際化し、ベルギーのマグリット、イギリスのペンローズ、日本の瀧口修造らの同調者を得た。

出典: コトバンク「シュルレアリスム」(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/しゆるれありすむ-3154564、Tate「Surrealism」(Art Term、2026-10-11 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/s/surrealism

年表・沿革

  1. 1924

    • 10月にアンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を出し、12月に機関誌『シュルレアリスム革命』が創刊された。
  2. 1925

    • パリのピエール画廊で最初のシュルレアリスム展が開かれ、ジョルジョ・デ・キリコ、マックス・エルンスト、ジョアン・ミロ、パブロ・ピカソ、マン・レイらが出品した。
  3. 1926

    • ブリュッセルで、「コレスポンダンス」を出していたポール・ヌージェ、カミーユ・ゴエマンス、マルセル・ルコントと、E.L.T.メセンス、ルネ・マグリットが共同のビラを作り、ブリュッセルのシュルレアリスム・グループが形を取り始めた。
  4. 1929

    • ブルトンが『シュルレアリスム第二宣言』を出して共産党を批判しつつ運動の自立を説き、ロベール・デスノスやアントナン・アルトーら有力なメンバーを除名した。
  5. 1936

    • 6月11日から7月4日まで、ロンドンのニュー・バーリントン画廊で国際シュルレアリスム展が開かれ、ルネ・マグリット、ヘンリー・ムーア、ポール・ナッシュらが出品した。
  6. 1937

    • 6月、瀧口修造と山中散生が企画した「海外超現実主義作品展」が東京・銀座の日本サロンで開かれ、京都・大阪・名古屋などを巡回した。
  7. 1941

    • 第二次世界大戦のさなかにブルトンがアメリカに亡命し、ニューヨークでマックス・エルンストやマルセル・デュシャンらと運動を続けた。
  8. 1969

    • 1966年のブルトンの死から3年後、ジャン・シュステルが『ル・モンド』紙に「第四のうた」を寄せて運動の終わりを宣言したが、受け入れずに活動を続けた者もいた。

関連人物

  • 初期のメンバー
    フィリップ・スーポー 1919〜

    詩人。1919年にブルトンと自動記述の実験を行って『磁場』を書いた。のちに運動を離れた

  • 創始者
    アンドレ・ブルトン 1924〜

    フランスの詩人。『シュルレアリスム宣言』を書き、運動を率いた

  • 中心メンバー
    ルイ・アラゴン 1924〜

    詩人・小説家。1932年に運動を離れた

  • 創立者の一人
    ポール・エリュアール 1924〜

    詩人。1938年にブルトンらのグループと決別した

  • 画家・初期のメンバー
    アンドレ・マッソン 1924〜

    自動デッサンを試みた。1929年に運動を離れた

  • ブリュッセルのグループの中心
    ポール・ヌージェ 1924〜

    詩人。1924年に「コレスポンダンス」を始めた、ベルギーのシュルレアリスムの理論家

  • ブリュッセルのグループの一員
    カミーユ・ゴエマンス 1924〜

    作家。ヌージェ、マルセル・ルコントと「コレスポンダンス」を出し、のちにパリで画廊を開いた

  • 1924年にシュルレアリスムの運動に加わって作風を決定づけ、その代表的な画家となった。

  • 形而上絵画でシュルレアリスムの先駆とされ、1924年にパリでグループに迎えられたが、1926年までに彼らと袂を分かった。

  • 1924年からシュルレアリスム絵画の中心にいて、1925年ごろに開いたフロッタージュなどでオートマティスムを実作で推し進めた。

  • 画家
    イヴ・タンギー 1925〜

    1939年にアメリカへ移った

  • ブリュッセルのグループの一員
    E.L.T.メセンス 1926〜

    1936年のロンドン国際シュルレアリスム展でベルギーの代表を務め、1938年からロンドン・ギャラリーを率いた

  • 1929年にパリで個展を開いてシュルレアリスムに加わり、その代表的な画家となったが、のちにブルトンにグループを除名された。

  • 日本への紹介者
    瀧口修造 1930〜

    詩人・美術批評家。1930年にブルトンの『超現実主義と絵画』を訳し、1937年に山中散生と「海外超現実主義作品展」を企画した

  • 1930年からシュルレアリスムの運動に加わって《午前4時の宮殿》(1933年)などを作ったが、1935年ごろ運動を離れた。

  • イギリスのグループの中心
    ローランド・ペンローズ 1936〜

    画家。1936年のロンドン国際シュルレアリスム展を組織した一人

  • 北脇昇 1937〜

    1936年の末ごろからシュルレアリスムに関心をもち、1937年の独活空港で、身近な植物を別の何かに見立てた幻想的な光景を描いて注目を浴びた。所蔵館の解説は独活を「シュルレアリスト北脇昇の誕生を告げる作品」と書く。シュルレアリスムを仏教・禅・易・曼荼羅など東洋の文化や数学などの自然科学と結びつけようとし、1939年には美術文化協会の創立同人となった。

  • 岡本太郎 1938〜

    パリで1938年の国際シュルレアリスム展に参加し、シュルレアリストたちと交友を深めた。

  • 1921年にパリに移ってダダに合流し、ブルトンのシュルレアリスムの運動でも中心的な一人として活躍した。

  • 1930年代中ごろの関節人形の作品がブルトンらパリのシュルレアリストに歓迎され、1938年にフランスへ移って彼らの輪に加わった。

  • 1929年にパリでマン・レイの弟子となってシュルレアリストたちと活動し、1940年のロンドンの「今日のシュルレアリスム」展にも写真を出した。

  • ダダの創始者の一人で、シュルレアリスムの形成期には距離を置いたが、1929年にブルトンと和解し、1930年代に運動に加わった。

  • 1938年にブルトンに作品を称賛され、ブルトンとデュシャンの後押しで欧米の展覧会に出品して、シュルレアリストとみなされることが多いが、本人はそれを否定した。

  • 1940年代にブルトンにシュルレアリストと認められ、The Liver Is the Cock's Combは1947年のパリのシュルレアリスム展に並んだ。

  • 1920年代半ばの作品にシュルレアリスムの特徴がみられ、1925年の最初のシュルレアリスム展にも作品が並んだが、グループの加入者には数えられず、心的オートマティスムにもすっかりは引きつけられなかった。

  • パリでブルトンのシュルレアリスムの運動に参加・協力し、1936年のロンドンの国際シュルレアリスム展にも出品したが、運動には加わらなかったとする見方もある。

関連