
トリスタン・ツァラ
Tristan Tzara
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1916年のチューリヒ、戦火を逃れた若者たちが集まった小さなキャバレー。舞台の袖でツァラが叫ぶように読み上げる詩は、意味を壊すことそのものが目的だった。ルーマニアのモイネシュティに生まれ、本名サミュエル・ロゼンシュトック。中立国スイスに渡り、ハンス・アルプやマルセル・ヤンコ、フーゴ・バルらとキャバレー・ヴォルテールに集った彼は、既存の美や論理を一切信用しない運動に「ダダ」という名を与えた張本人になる。
語の意味を切り離し、新聞記事を鋏で刻んで袋から取り出した順に並べれば詩ができる、と彼は本気で言った。1918年の『ダダ宣言』はその実践の理論書であり、挑発の宣戦布告でもある。「私はダダに反対だ、なぜならダダを愛しているから」という彼一流の逆説は、運動の自己否定的なエネルギーそのものを言い当てていた。
パリに移ってからはアンドレ・ブルトンらと組んで数々の乱痴気騒ぎを仕掛けたが、やがて主導権をめぐって決裂。ダダは瓦解し、シュルレアリスムがその跡を継いでいく形になる。ツァラ自身はのちにブルトンと和解し、共産党にも入党してスペイン内戦やレジスタンスにも関わった。晩年は詩人として、また美術批評家として、マックス・エルンストやジョルジョ・デ・キリコら旧知の画家たちの仕事を見守り続けた。
絵筆を持たなかった人物でありながら、20世紀美術の骨格そのものを揺さぶった稀有な扇動者だった。
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