
ルネ・マグリット
ベルギーの画家ルネ・マグリットは、《イメージの裏切り》でパイプの絵に「これはパイプではない」と書き添えた。このパイプにタバコは詰められない。絵と実物の違いを突かれると、見慣れた物まで頼りなくなる。
1898年、ベルギーのレシーヌに生まれ、13歳で母を入水自殺で失った。《恋人たち》の顔を覆う布を母の死と結びつける見方もあるが、本人は自作を生い立ちから説明する解釈を退けた。ブリュッセルの王立美術アカデミーで学び、壁紙の図案や広告の仕事で生計を立てた。
転機は、画家ジョルジョ・デ・キリコの《愛の歌》の複製との出会いだった。「私の目は、はじめて思考を見た」と、本人は振り返っている。
1927年、妻ジョルジェットとパリ郊外へ移り、アンドレ・ブルトンらパリのシュルレアリストと交わった。言葉を書き込む絵を描き始め、《イメージの裏切り》も1929年に生まれた。だが同年暮れ、ブルトンが夕食の席で妻の十字架の首飾りを外すよう迫り、仲がこじれた。恐慌の後で画廊の支援も失い、1930年にブリュッセルへ戻った。
仕事場はジェットのアパートの小さな食堂だった。専用の制作室を持たず、ここで約800点を描いた。スーツにネクタイ姿で筆を執り、床に絵具を一滴も落とさないのが自慢だったという。昼の空と夜の街を描いた《光の帝国》の最初の一枚も、1949年にここで生まれた。食堂での几帳面な暮らしを知ると、絵の不思議さがいっそう際立つ。
よく知られた画風を守り続けたわけではない。ドイツ占領下の1943年からは、その恐怖に対抗するように、印象派風の明るく柔らかな「ルノワールの時代」の絵を描いた。1948年のパリでの個展には、けばけばしい色と粗い筆の「ヴァーシュ(雌牛)の時代」の作品を出したが、1点も売れず、以前の様式に戻った。
戦後の苦しい時期には、ピカソ、ブラック、デ・キリコらの贋作を描き、のちには紙幣の偽造にまで手を広げた。弟ポールと、「代わりの息子」と呼ばれたシュルレアリストのマルセル・マリエンも一緒だった。ベルギーは生誕100年に、マグリットを描いた500フラン紙幣を出している。
山高帽の男は、中産階級のしるしであり、画家自身の姿でもあった。1964年の自画像《人の子》では、顔の前に緑の林檎が浮かぶ。「見えるものはすべて、別のものを隠している」とマグリットは語った。
1965年、ニューヨーク近代美術館の回顧展のため初めて渡米した。1967年8月4日にはロッテルダムで大規模な回顧展が開いた。その11日後の8月15日、ブリュッセルのスカールベークの自宅で、膵臓がんにより68歳で世を去った。45年間連れ添ったジョルジェットに看取られ、いまはスカールベークの共同墓地で妻と並んで眠る。
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