主義・運動
抽象表現主義
ちゅうしょうひょうげんしゅぎ
抽象表現主義(ちゅうしょうひょうげんしゅぎ)は、1940年代から50年代にかけてニューヨークを中心にアメリカで展開した抽象絵画の動向で、ニューヨーク派とも呼ばれる。キュビスムやシュルレアリスムなどヨーロッパの美術から出発し、巨大な画面に感情や精神性を抽象的な形で表して、アメリカで初めて生まれた独自の美術とみなされた。ポロックやデ・クーニングらが身ぶりの跡を画面に残したアクション・ペインティングと、ロスコやニューマンらが広い色面で画面を満たしたカラー・フィールド・ペインティングの二つの流れを含む。広くは、同じころヨーロッパに現れたアンフォルメルなど「熱い抽象」と呼ばれた動向もこの名で呼ばれる。
出典: コトバンク「抽象表現主義」(デジタル大辞泉・百科事典マイペディア・改訂新版 世界大百科事典(千葉成夫)・日本大百科全書(藤枝晃雄)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/抽象表現主義-97294、テート「Abstract expressionism」(Art Term、2026-10-12 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/a/abstract-expressionism、ja.wikipedia「抽象表現主義」(2026-09-23 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/抽象表現主義
年表・沿革
1919
- ドイツ表現主義の雑誌『シュトゥルム』で、具象的な表現主義に対する抽象的な表現主義を指して「抽象表現主義」の語が使われ、これが語の始まりとされる。
1929
- アルフレッド・バーがウェルズリー大学の講義で、カンディンスキーの絵を指して「抽象表現主義」の語を使った。
1943
- ジャクソン・ポロックが、ペギー・グッゲンハイムがニューヨークに開いた画廊「今世紀の美術(Art of This Century)」で初めての個展を開いた。
1946
- 批評家ロバート・コーツがハンス・ホフマンの展覧会評で「抽象表現主義」の語を用い、以後、この語がアメリカの画家たちに当てはめられるようになった。
1947
- このころからポロックが絵筆を置き、床に広げた大きな画布に絵具を垂らして描くようになった(ドリッピング)。
1952
- 批評家ハロルド・ローゼンバーグが論文「アメリカのアクション・ペインター」で、「アクション・ペインティング」の語を初めて使った。
1958
- ニューヨーク近代美術館が企画した、抽象表現主義の画家17人の作品による「新しいアメリカ絵画」展が、翌年にかけてバーゼルからロンドンまでヨーロッパ8か国を巡回した。
関連人物
- 画家 アドルフ・ゴットリーブ 1941〜
抽象表現主義の第一世代の一人。1941年から「ピクトグラフ」と名づけた連作を描いた
- 画廊主・収集家 ペギー・グッゲンハイム 1942〜
ニューヨークに画廊「今世紀の美術(Art of This Century)」を開き、1943年にポロックの初個展を開いた。1947年に画廊を閉じてヴェネツィアに移った
- 批評家 クレメント・グリーンバーグ 1942〜
1942年から『ネーション』誌に美術評を書き、ポロックをはじめとする抽象表現主義の画家を擁護して、その理論的な支えとなった。この絵画を〈アメリカ型絵画〉と呼んだ
- 批評家 ロバート・コーツ 1946〜
『ザ・ニューヨーカー』の美術評を長く担当した。1946年、ハンス・ホフマンの展覧会の評で「抽象表現主義」の語をアメリカの画家に当てた
- 批評家 ハロルド・ローゼンバーグ 1952〜
1952年の論文「アメリカのアクション・ペインター」で、ポロックやデ・クーニングらの絵を〈アクション・ペインティング〉と名づけ、戦後のアメリカ美術の重要性を最初に説いた
- 画家・美術教師 ハンス・ホフマン
ドイツから渡ってニューヨークで画塾を開き、多くの画家を教えた。1946年、批評家ロバート・コーツがその展覧会の評で、「抽象表現主義」の語を初めてアメリカの画家に当てた
- 画家 フィリップ・ガストン
ニューヨーク派を築いた画家の一人。1960年代までに抽象表現主義を離れ、具象の絵に転じた
-
シュルレアリスムのオートマティスムを取り入れた独自の抽象画で知られ、抽象表現主義の代表的な作家の一人に数えられる。没後の1958〜59年にヨーロッパを巡回したニューヨーク近代美術館の「新しいアメリカ絵画」展にも、17人の一人として作品が選ばれた。
-
床に広げた画布に絵具を垂らすドリッピングの技法で知られ、抽象表現主義、とくにアクション・ペインティングの代表的な画家とされる。
-
1950年から描いた「女」の連作など、激しい筆致の絵で知られ、抽象表現主義の代表的な画家の一人とされる。
-
大きな画面に輪郭のにじむ矩形の色面を浮かべる絵で知られ、抽象表現主義の代表的な画家とされる。本人はそうみなされることを好まなかった。
-
巨大な色面を「ジップ」と呼ばれる縦の線で区切る絵で知られる、典型的な抽象表現主義の画家の一人。その絵はカラー・フィールド・ペインティングの起点ともなった。
-
1947年ごろ、暗い色調の大画面に裂け目のような色面を配する作風を確立し、ニューマン、ロスコらとともに抽象表現主義を代表する画家とされる。
-
1950年代に、白と黒の太い線が画面を走る絵で作風を確立した、抽象表現主義の画家。
-
ニューヨーク派の最も若い一人で、抽象表現主義の画家たちの代弁者・創始者の一人とされる。「スペイン共和国へのエレジー」の連作で知られる。
-
抽象表現主義の第二世代とされ、絵具を垂らし飛び散らせるアクション・ペインティングの作風で知られる。1950年からパリで頭角を現し、1957年以降はたびたび日本を訪れて制作した。
-
ゴーキーやカンディンスキーの影響から抽象表現主義に進み、ポロックにならって下地を塗らない画布に絵具を染み込ませた《山脈と海》(1952年)を描いた。この技法がモーリス・ルイスらのカラー・フィールド・ペインティングを生んだ。
-
第二次世界大戦後にニューマンやロスコらの色面の画家に近づき、抽象表現主義の一翼を担う作家と認められた。1960年からは黒一色の「ブラック・ペインティング」に専念してそこから離れ、ミニマル・アートの先駆けとされる。
-
抽象表現主義のニューヨーク派の一人に数えられる一方、ワシントンでノーランドらと活動した、抽象表現主義を受け継ぐカラー・フィールド・ペインティングの代表的な画家とされることが多い。
-
抽象表現主義の画家とされる一方、1950年代にルイスと親交を結んで絵具を画布に染み込ませる手法をとり、カラー・フィールド・ペインティングの代表的な作家とされることが多い。
