期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%
ケ

ケネス・ノーランド

Kenneth Noland
0 作品

ノースカロライナ州アッシュビルに生まれ、復員兵援護法を使ってブラック・マウンテン・カレッジに入学した。そこで出会ったのがイリヤ・ボロトウスキーで、幾何学と色彩の関係を叩き込まれる。さらにパリ留学中には彫刻家オシップ・ザッキンに師事し、ジョセフ・アルバースの色彩理論にも強く感化された。だが本当の転機は1953年、ワシントンD.C.のアトリエで盟友モリス・ルイスとともにヘレン・フランケンサーラーのスタジオを訪れたときに訪れる。フランケンサーラーが未処理のキャンバスに絵具を染み込ませていく「ソーク・ステイン」技法を目の当たりにし、二人はその場で自分たちの制作を根本から作り替える決意をした。筆致も輪郭線も消し去り、色そのものが画面に染み渡っていく——その衝撃がワシントン・カラー・スクールという運動の出発点になる。

ノーランドが行き着いたのは、正方形のキャンバスの中心から同心円が広がっていく「ターゲット」の連作だった。的のように見えて狙いは的中ではなく、色と色がぶつかる境界線そのものを見せることにある。輪が外へ広がるごとに赤が緑に触れ、青が黄に触れる瞬間の振動を、観る者は否応なく体験させられる。1960年代に入るとモチーフは山形の「シェブロン」、さらに水平の帯が幾筋も走る「ストライプ」へと移り変わり、キャンバス自体も正方形やダイヤモンド形に切り出されるようになった。形式は次々と変わっても一貫しているのは、色を塗るのではなく色を「置く」という態度で、絵具の物質性と色彩の純粋な効果だけで画面を成立させようとする姿勢だった。

批評家クレメント・グリーンバーグに早くから見出され、モリス・ルイス、ジュールス・オリツキーらと並んでポストペインタリー・アブストラクションの中心的存在とされた。抽象表現主義の身振りや自己劇化を退け、色彩だけで絵画を語ろうとしたその姿勢は、その後のミニマリズムや色面絵画の展開にも大きな影響を残した。晩年はメイン州とバーモント州を拠点に制作を続け、2010年、メイン州ポート・クライドで没した。

ケネス・ノーランドの作品をお持ちですか?

Cugiraで出品してみませんか?

出品する

作品が見つかりません