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ヘンリー・ムーア

ヘンリー・ムーア

Henry Moore
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ヘンリー・ムーア(1898〜1986)は、横たわる人体に穴をあける試みを重ねたイギリスの彫刻家である。横たわる人体という主題の手がかりは、パリで見た古代メキシコの石像の石膏模型だった。

生まれたのは、ヨークシャーの炭鉱町カッスルフォード。独学で学んだ炭鉱夫の父は、子どもたちに教育の大切さを教えた。ムーアは故郷のぼた山をピラミッドになぞらえている。地下の洞窟のような世界も、近くに露出した岩も、のちまで彼の中に残った。

第一次世界大戦から戻ると、復員兵の奨学金でリーズ美術学校に入った。当時の学校には彫刻の授業がなく、ムーアのために彫刻科が設けられた。学生は彼一人だった。続いて進んだロンドンの王立美術学校では、古代彫刻の石膏像を写す授業になじめなかった。

むしろ足が向いたのは、大英博物館だった。毎週のように通い、アフリカやアステカ、キクラデスの彫刻の前で何時間も過ごした。制作では素材を直接彫り、傷や道具の跡も残した。学校の手本とは違う彫刻を探していたのである。

1925年頃、パリで見たのが、古代メキシコの石像チャック・モールの石膏模型である。これが横たわる人体への手がかりになった。ムーアによれば、この姿勢は自由に形を組み立てられ、しかも安定する。初めは腕と胴の間にできていた空間が、やがて胴そのものに穴をあける試みへと進んだ。

その彫刻は、すぐには受け入れられなかった。1931年、新聞は作品を学生から遠ざけるべき脅威として非難した。同僚も非難に加わり、ムーアは王立美術学校の教職を辞めた。

第二次世界大戦中、ムーアは空襲を避けて地下鉄の駅で眠る人々を描いた。毛布にくるまれた人に自分の横たわる像を、トンネルに彫刻の穴を重ねて見ていた。この素描で広く知られるようになった。さらに、父が働いた炭鉱にも下り、坑夫たちを描いた。

戦後は娘の誕生をきっかけに、母と子の主題に再び向き合った。1948年にはヴェネツィア・ビエンナーレで国際彫刻賞を受け、学校や病院、公営住宅に置く彫刻の注文も続いた。大きな作品も、出発点は手のひらに乗る小さな雛型だった。

「彫刻の背景として空以上にふさわしいものはない」とムーアは語った。箱根の彫刻の森美術館には26点が集まる。横たわる像の一つは、遠くに相模湾を望む場所に置かれている。

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