主義・運動
表現主義
ひょうげんしゅぎ
表現主義(ひょうげんしゅぎ)は、20世紀の初めにドイツを中心に起こった芸術運動。外の世界の印象を写す印象主義に対して、画家の内面にある感情を、ゆがめた形と強い色で表そうとした。1905年にドレスデンで結成されたブリュッケを起点に、ミュンヘンの青騎士やベルリンの雑誌『シュトゥルム』を通じて広がり、ウィーンのココシュカやシーレらオーストリアの画家もこの流れに数えられる。絵画から文学・演劇・音楽・映画・建築にまで及んだ。
出典: コトバンク「表現主義」(デジタル大辞泉・改訂新版 世界大百科事典(土肥美夫)・百科事典マイペディア・日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/表現主義-121240、ブリタニカ百科事典(英語版)「Expressionism」(2026-10-11 取得) https://www.britannica.com/art/Expressionism、テート「Expressionism」(Art Term、2026-10-11 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/e/expressionism
年表・沿革
1902
- ムンクの「生命のフリーズ」の連作がベルリンの展覧会で大きな反響を呼び、のちの表現主義の美術運動に強い刺激を与えた。
1905
- ドレスデンでキルヒナーらがブリュッケを結成し、表現主義が新しい運動として姿を現した。
1910
- ヘルヴァルト・ヴァルデンがベルリンで雑誌『シュトゥルム』を創刊し、美術と文学を結ぶ表現主義の拠点になった。
1911
- ミュンヘン新芸術家協会を離れたカンディンスキーやマルクらが「青騎士」を結成し、12月に最初の展覧会を開いた。
- このころから「表現主義」の語がベルリンで、前衛の美術を中心に文学・演劇・音楽などにまたがる新しい芸術の合言葉として広まった。
1913
- ヴァルデンがベルリンで第1回ドイツ秋季サロンを開き、12か国の約80人の作品で、表現主義・キュビスム・未来派をヨーロッパ全体の動きとして示した。
1925
- マンハイム美術館で「新即物主義」展が開かれ、表現主義への反動として現れた、事物を冷静にとらえる新しい具象の傾向がこの名で呼ばれるようになった。
1937
- ナチスがミュンヘンで「退廃芸術展」を開き、美術館から押収した表現主義などの作品をさらしものにした。
関連人物
- ブリュッケの創立会員 エーリヒ・ヘッケル 1905〜
表現主義絵画の推進者となった
- ブリュッケの創立会員 カール・シュミット=ロットルフ 1905〜
ドイツ表現主義の代表者の一人とされる
- ブリュッケの会員 マックス・ペヒシュタイン 1906〜
1910年にベルリンで新分離派を起こし、会長を務めた
- エミール・ノルデ 1906〜
1906年にブリュッケに加わって1年ほどで離れたが、その後も孤独に表現主義の作品を描き続け、ドイツ表現主義を代表する一人とされる。
- 美術史家 ヴィルヘルム・ヴォリンガー 1908〜
『抽象と感情移入』(1908年)の説が表現主義の芸術家たちに大きな刺激を与えた
- 雑誌『シュトゥルム』の主宰 ヘルヴァルト・ヴァルデン 1910〜
1912年にシュトゥルム画廊を開き、1913年に第1回ドイツ秋季サロンを催した
- 青騎士の画家 アウグスト・マッケ 1911〜
1914年、第一次世界大戦で戦死した
- ワシリー・カンディンスキー 1911〜1914
1911年にマルクと「青騎士」を結成し、第一次世界大戦でロシアに戻るまで、ドイツ表現主義の運動の中心にいた。
- フランツ・マルク 1911〜
1911年にカンディンスキーと「青騎士」を結成してその運動の中心的な推進者となった、ドイツ表現主義の画家。
- ロベール・ドローネー 1911〜1912
オルフィスムの画家とされるが、1911〜12年にカンディンスキーの招きで「青騎士」の第1回・第2回展に出品し、テートはフランスで表現主義を取り入れた画家に挙げる。
- 彫刻家 エルンスト・バルラハ
ドイツ表現主義の代表的な彫刻家とされる
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クリムトの装飾的な画法から内面の表出を目ざす表現主義に向かった、オーストリアの表現主義の画家。1910年、クリムトの影響を離れて自分の表現主義の様式を打ち立てた。
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1911年に「青騎士」の仲間となって翌年の展覧会に出品したが、作品は表現主義やキュビスム、シュルレアリスムのどれとも分けにくいとされる。
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1902年のベルリン展の「生命のフリーズ」で表現主義に強い刺激を与え、辞典の多くは先駆者とするが、表現派の父、ノルウェーの表現主義の画家とする典拠もある。
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初期の戦争体験を描いた作と晩年の作が表現主義的とされ、1920年にはドイツ表現主義展に出品したが、1920年代にはグロッスとともに新即物主義を代表した。
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1910年代の初期の作は表現主義と未来派の影響を受けた様式で、表現主義の後期の担い手とする典拠もあるが、辞典ではベルリン・ダダと新即物主義の画家とされる。
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初期の1911年にマッケの「ライン表現主義者」のグループに加わって表現派から出発したが、のちダダとシュルレアリスムの代表的な画家となった。
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エコール・ド・パリの画家とされることが多いが、1914年にベルリンのシュトゥルム画廊で個展を開き、ヨーロッパの表現主義の画家に数える典拠もある。
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フォーヴィスムの画家で、一時ドイツ表現主義のブリュッケに加わった。
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フォーヴィスムの周辺にいながら独自の精神性をもつ表現主義的な世界をつくり、フランスの表現主義の画家とされる。
