期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%

主義・運動

分割主義

ぶんかつしゅぎ

分割主義(ぶんかつしゅぎ)は、絵具を混ぜずに純色の細かな筆触を並べ、見る人の目の中で色を混ぜ合わせて画面の輝きを高めようとする絵画の方法と、それを掲げた画家たちの動き。フランスでスーラやシニャックら新印象主義の画家が打ち立て、イタリアでは画商で画家のヴィットーレ・グルビチ・デ・ドラゴンが広めて、セガンティーニ、プレヴィアーティ、モルベッリ、ペリッツァ・ダ・ヴォルペードらが独自に展開した。イタリアの分割主義は、1891年にミラノのブレラで開かれた第1回トリエンナーレ展で公に姿を現し、若いころのバッラやボッチョーニら、未来派の画家たちの出発点にもなった。ただし、もとは新印象主義の方法論を指す名で、イタリアの画家たちは芸術宣言を書かなかったため、厳密には一つの絵画運動とは言えないとされる。

出典: コトバンク「ディビジヨニスム」(改訂新版 世界大百科事典(本江邦夫)、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/でいびじよにすむ-1187137、コトバンク「新印象主義」(改訂新版 世界大百科事典(本江邦夫)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/新印象主義-81323、コトバンク「点描主義」(改訂新版 世界大百科事典(本江邦夫)ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/点描主義-578829、Treccani『Enciclopedia on line』「divisionismo」(2026-10-11 取得) https://www.treccani.it/enciclopedia/divisionismo/、Rossella Canuti「MORBELLI, Angelo」(Dizionario Biografico degli Italiani 第76巻、2012年、2026-10-11 取得) https://www.treccani.it/enciclopedia/angelo-morbelli_(Dizionario-Biografico)/、it.wikipedia「Divisionismo」(2026-09-11 版、2026-10-11 取得) https://it.wikipedia.org/wiki/Divisionismo、en.wikipedia「Divisionism」(2026-06-26 版、2026-10-11 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Divisionism

年表・沿革

  1. 1886

    • フランスの批評家フェリックス・フェネオンが、純色の小さな点を並べて描いたスーラの絵を評して、「新印象主義」の語を初めて使った。
  2. 1887

    • 画商ヴィットーレ・グルビチ・デ・ドラゴンがスイスのサヴォニーノに5か月とどまって、色を分けて描く方法をセガンティーニと語り合い、セガンティーニは彼の勧めで自作を分割主義の描き方で描き直した。
  3. 1891

    • ミラノのブレラで第1回トリエンナーレ展が開かれ、プレヴィアーティの《母性》やセガンティーニ、モルベッリの作品が並んで、イタリアの分割主義が公に姿を現した。
  4. 1896

    • モルベッリとペリッツァ・ダ・ヴォルペードが、ノメッリーニ、ロンゴーニ、セガンティーニらを誘って分割主義の画家たちの運動を起こそうとしたが、実を結ばなかった。
  5. 1902

    • トリノのクアドリエンナーレ展で、ペリッツァ・ダ・ヴォルペードが細かな線と点の筆触で描いた大作《第四階級》を初めて公開した。
  6. 1906

    • プレヴィアーティが『分割主義の科学的原理』を著し、技法の理論をまとめた。
  7. 1910

    • 未来派の画家たちが「未来派絵画技術宣言」で、分割主義なしに絵画はありえないと述べた。

関連人物

  • 推進者
    ヴィットーレ・グルビチ・デ・ドラゴン 1887〜

    画商・画家。技法をいち早く理論づけた一人で、兄弟のアルベルトとミラノに画廊を開き、セガンティーニやプレヴィアーティに分割主義の描き方を勧めた

  • 画家・理論家
    ガエターノ・プレヴィアーティ 1891〜

    1906年に『分割主義の科学的原理』を著した

  • 画家
    アンジェロ・モルベッリ 1891〜

    ミラノの老人ホーム、ピオ・アルベルゴ・トリヴルツィオの入居者を描き続けた

  • 画家
    エミリオ・ロンゴーニ 1891〜

    第1回トリエンナーレ展に出した作品から分割主義の技法を試み、社会的な主題も描いた

  • 画家
    プリニオ・ノメッリーニ 1891〜

    1892年にペリッツァ・ダ・ヴォルペードに分割主義の技法を勧めた

  • 画家
    ジュゼッペ・ペリッツァ・ダ・ヴォルペード 1894〜

    1902年に大作《第四階級》を公開した

  • 1898〜1901年の絵の多くで、シニャックの論文「ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義へ」を読んで取り入れた分割主義の技法を使った。1904年の夏にはサン=トロペでシニャック、クロスのそばで点描を試し、《豪奢、静寂、逸楽》を描いた。翌1905年の夏、コリウールで点描の「圧制」から抜け出した。

  • キュビスムやオルフィスムに進む前の1906〜07年、新印象主義の流れをくむ分割主義の手法で描いた。

  • 若いころ分割主義の技法を学び、1907年にミラノに定住したころは、その技法で近代の工業都市を描いた。

  • 若いころバッラのアトリエで分割主義を知り、1906年にパリに移ってスーラの点描主義を学んで、未来派の時代にも分割主義の手法で描いた。

  • 純色の小さな点を並べる点描によって新印象主義を打ち立て、分割主義の方法を確立した。

  • スーラとともに新印象主義を築き、1899年の『ウージェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』で分割主義の理論をまとめた。

  • 画商グルビチの勧めで1880年代の後半から色を分けて描く方法に移り、イタリアの分割主義を代表する画家の一人となった。

  • 1880年代の後半、若いスーラやシニャックと交わって新印象主義の点描で描いたが、のちに以前の描き方に戻った。

関連