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主義・運動

未来派

みらいは

未来派(みらいは)は、20世紀初めのイタリアで、詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが1909年に発表した「未来派宣言」から始まった芸術運動。過去の芸術や伝統を退け、機械文明がもたらした速度や運動、騒音の感覚を表そうとした。1910年にボッチョーニ、カッラ、ルッソロ、バッラ、セヴェリーニの画家たちが宣言を出し、運動は絵画・彫刻から建築・音楽・演劇・写真・映画にまで広がった。のちにファシズムに近づき、第一次世界大戦後はバッラやフォルトゥナート・デペーロを中心に第二未来派が活動した。

出典: コトバンク「未来派」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典(井関正昭)・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/未来派-139841、コトバンク「未来主義」(精選版 日本国語大辞典・日本大百科全書(小川煕)、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/未来主義-392919、コトバンク「マリネッティ」(改訂新版 世界大百科事典・日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/まりねつてい-3171631、Treccani『Enciclopedia on line』「futurismo」(2026-10-11 取得) https://www.treccani.it/enciclopedia/futurismo/

年表・沿革

  1. 1909

    • 2月20日、マリネッティがパリの新聞『フィガロ』の第1面にフランス語で「未来派宣言」を載せ、運動が国際的に知られるきっかけになった(イタリアの新聞には、それより早い2月5日から載っていた)。
    • 5月、森鷗外が雑誌『スバル』に宣言の抄訳を載せ、日本にもいち早く伝わった。
  2. 1910

    • 2月11日に画家たちの「未来派画家宣言」が出され、4月11日にはボッチョーニ、カッラ、ルッソロ、バッラ、セヴェリーニが「未来派絵画技術宣言」を出した。
  3. 1912

    • 2月、パリのベルネーム=ジュヌ画廊で未来派の画家たちの展覧会が開かれ、のちにロンドンやベルリンなどヨーロッパ各地を巡回した。
  4. 1915

    • バッラとフォルトゥナート・デペーロが「未来派による宇宙の再構成」に署名し、暮らしのあらゆる面を未来派の創造でつくり直そうと唱えた。
  5. 1916

    • 第一次世界大戦のさなかにボッチョーニとサンテリアが没し、運動の勢いは大きく衰えた。
  6. 1929

    • 「未来派航空絵画宣言」が出され、飛行や空からの眺めを描く航空絵画(アエロピットゥーラ)が、第二未来派の主な表現になった。
  7. 1944

    • 12月2日に指導者マリネッティが没し、組織立った運動としての未来派はこれで終わったとみなされている。

関連人物

  • 創始者
    フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ 1909〜

    詩人。1909年に「未来派宣言」を発表し、指導者として運動を率いた

  • 画家宣言の署名者
    カルロ・カッラ 1910〜

    画家。のちにデ・キリコらと形而上絵画に移った

  • 画家宣言の署名者
    ルイジ・ルッソロ 1910〜

    画家・作曲家。1913年に「騒音芸術」を発表し、騒音楽器イントナルモーリを作った

  • 1910年に「未来派画家宣言」と「未来派絵画技術宣言」に署名し、未来派の理論に最も忠実な画家、運動の主な理論家とされる。

  • 1910年に画家宣言に署名したイタリア未来派の画家で、パリから仲間にキュビスムなどフランスの新しい動きを伝え、《モニコのパンパン踊り》(1910年)は未来派の傑作の一つとされる。

  • 建築家
    アントニオ・サンテリア 1914〜

    1914年に「未来派建築宣言」を発表し、1916年に第一次世界大戦で戦死した

  • 初期の1914年に短く未来派の様式に寄り、ローマの自由未来派展に出品したが、のち形而上絵画を経て静物画に向かった。

  • 第二未来派の中心人物
    フォルトゥナート・デペーロ 1915〜

    画家・デザイナー。1915年に加わり、バッラと「未来派による宇宙の再構成」に署名した

  • 1910年代前半の作は、イタリアの未来派との影響関係を否定したロシアの未来派(立体未来派)に数えられ、1913年には未来派オペラ『太陽の征服』の舞台美術を手がけた。

  • 1916年の第3回二科展に未来派風の《パラソルさせる女》を出して二科賞を受け、1920年代の滞欧期には未来派の運動に加わったとされる。

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