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主義・運動

キュビスム

きゅびすむ

キュビスム(きゅびすむ)は、20世紀初めのパリで、ピカソとブラックが1907〜08年ごろに始めた美術の革新運動。ルネサンス以来の一点透視法や明暗による肉付けを捨て、対象をいくつもの視点から見た幾何学的な面に分けて、画面の上に組み立て直した。名は、1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来し、日本では立体派・立体主義とも訳された。1911年のアンデパンダン展でレジェやグレーズらが一室に作品をそろえて示したことで広く知られ、のちの抽象絵画や未来派、ピュリスムにも大きな影響を与えた。

出典: コトバンク「キュビスム」(デジタル大辞泉・百科事典マイペディア・改訂新版 世界大百科事典(八重樫春樹)・日本大百科全書(中山公男)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/きゆびすむ-3149138、コトバンク「キュービズム」(精選版 日本国語大辞典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/きゆーびずむ-3209851、テート「Cubism」(Art Terms、2026-10-12 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/c/cubism、国立西洋美術館「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命」展の頁(2023年10月3日〜2024年1月28日、2026-10-12 取得) https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023cubisme.html、ja.wikipedia「キュビスム」(2026-07-24 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/キュビスム、en.wikipedia「Cubism」(2026-10-04 版、2026-10-12 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Cubism

年表・沿革

  1. 1907

    • ピカソが《アビニヨンの娘たち》を描き上げ、この絵がのちにキュビスムの出発点とされた。
  2. 1908

    • サロン・ドートンヌに落選したブラックのエスタックの風景画が秋にカーンワイラーの画廊で公開され、それを批評家ルイ・ヴォークセルが「一切を立方体(キューブ)に還元する」と評したことが、キュビスムの名のもとになった。
  3. 1911

    • 春のアンデパンダン展の第41室に、メッツァンジェ、グレーズ、レジェ、ドローネー、ル・フォーコニエの作品がまとめて並び、キュビスムが初めて多くの人の目にふれて騒ぎを呼んだ。
  4. 1912

    • ピカソとブラックが、新聞紙や壁紙などを画面に貼るパピエ・コレ(コラージュ)を取り入れ、総合的キュビスムへ移った。
    • グレーズとメッツァンジェが、この年のセクション・ドール展に備えて、キュビスムについての最初の理論書『キュビスムについて』を出した。
  5. 1913

    • アポリネールが、キュビスムの画家たちを論じた評論集『キュビスムの画家たち』を出した。
  6. 1914

    • 第一次世界大戦が始まってブラックが召集され、運動としてのキュビスムは事実上終わった。
  7. 1915

    • このころ日本でも受け入れが始まり、東郷青児や萬鉄五郎の作品にその影響が表れた。

関連人物

  • 画商
    ダニエル=ヘンリー・カーンワイラー 1907〜

    1907年にパリに画廊を開き、翌年のブラックの個展がキュビスムの最初の展示となった。キュビスムのほとんどの画家を扱い、著書に『キュビスムへの道』(1920年)がある

  • 1907年に《アビニョンの娘たち》を描き、ブラックとともにキュビスムを創始した。

  • 1907年から、セザンヌの研究とピカソやブラックとの交友で形を重んじる作風に転じ、1908〜10年のキュビスムの初めの段階にかかわったが、形の分解までは進まず、1911年からは伝統的な描き方へ戻った。

  • 詩人・批評家
    ギヨーム・アポリネール 1908〜

    1908年ごろから新しい芸術を擁護する理論家として活躍し、1913年に評論集『キュビスムの画家たち』を出した

  • 批評家
    ルイ・ヴォークセル 1908〜

    1908年、ブラックの絵を「一切を立方体(キューブ)に還元する」と評した言葉が、キュビスムの名のもとになった。この傾向を非難した批評家の一人

  • 画家・理論家
    ジャン・メッツァンジェ 1908〜

    1911年のアンデパンダン展の第41室に出品し、1912年にグレーズと『キュビスムについて』を著した

  • 彫刻家
    アレクサンダー・アーキペンコ 1908〜

    キーウ出身。1908年にパリに移り、ピカソやレジェの影響を受けてキュビスムの作品を作った

  • ピカソとともにキュビスムを創始し、1913年ごろからはパピエ・コレによって総合的キュビスムへ進んだ。

  • サロン・ドートンヌのセザンヌ展に刺激され、ドローネーやアポリネールとの交わりからキュビスムに近づいて、1909〜10年に大作《森の裸体》(クレラー・ミュラー美術館)を描いた。円筒形を強調した画風は批評家に「チュビスム」と呼ばれ、1911年のアンデパンダン展ではメッツァンジェ、グレーズ、ル・フォーコニエ、ドローネーとともに、キュビスムを集団として初めて人々に示した。1912〜14年には「形のコントラスト」の連作を描いた。

  • 1909〜11年の「都市」「エッフェル塔」の連作でキュビスムに転じ、1911年のアンデパンダン展にもキュビストたちと出品したが、1912年からの窓などの連作はアポリネールにオルフィスムと名づけられた。

  • 画家
    アンリ・ル・フォーコニエ 1911〜

    1911年のアンデパンダン展で一室を占めてキュビスムを示した画家の一人。サロンの書記として、仲間の作品をまとめて掛ける手助けをした

  • 1912年にピカソの肖像を描いてキュビスムの運動に加わり、同じ年のセクション・ドール展にも出て、総合的キュビスムの指導者の一人となった。

  • 1911年秋、アムステルダム市立美術館の現代美術サークル展でピカソとブラックの作品を見て灰色の木を描き、1912年にパリへ移ってキュビスムを吸収した。1916年にバート・ファン・デル・レックと会ったあと、それまで多かれ少なかれキュビスム的だった自分の技法が、その厳密な方法の影響を受けたと書いている。

  • 彫刻家
    ジャック・リプシッツ 1913〜

    リトアニア出身。1913年にディエゴ・リベラの紹介でキュビスムの画家たちと知り合い、平面を組み合わせたキュビスムの彫刻の一つの様式を打ち立てた

  • パリにいた1913〜17年に、キュビスムを熱心に取り入れた絵を描いた。

  • 画家・理論家
    アルベール・グレーズ

    1911年のアンデパンダン展の第41室に出品し、1912年にメッツァンジェと『キュビスムについて』を著した

  • 兄たちのセクション・ドールのキュビスムの運動に加わり、1912年秋のセクション・ドール展にも参加したが、《階段を下りる裸体No.2》(1912年)のころから独自の道に進んだ。

  • 1910〜12年にキュビストたちとアンデパンダン展やキュビスム展に出品したが、本質的にはキュビスムとは異質だったとする見方もある。

  • 初めはキュビストとして活動したが満足せず、1918年にジャンヌレ(ル・コルビュジエ)とピュリスムを唱えた。

  • 未来派の画家で、1910年ごろからキュビスムに近づき、第一次世界大戦のあとは1920年ごろまで総合的キュビスムの作風で描いた。

  • 1914〜16年に帰った郷里の土沢で、キュビスムの造形を手がかりに自画像・静物画・風景画を数多く描いた。1917年の第4回二科展に出したもたれて立つ人は、日本のキュビスム受容の先駆的な作品とされる。その表現は、西欧のキュビスムとは異なる、郷里の風土で培った独自色の強いものとされる。

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