
フアン・グリス
マドリードで生まれ、1906年にパリへ出た青年は、まずモンマルトルの安下宿バトー・ラヴォワールに部屋を借りる。隣人はパブロ・ピカソだった。最初は風刺雑誌の挿絵で糊口をしのぎ、画家として本格的に立つのは1910年前後、すでにキュビスムが動き出したあとのことだ。だからグリスは後発の強みを持っていた——ピカソとジョルジュ・ブラックが手探りで築いた分析的キュビスムを横目に、最初から画面をどう組み立てるかを数学的に考えることができた。
分析的キュビスムが対象を断片へと解体していく方向だとすれば、グリスのやり方は逆だ。まず画面に幾何学的な構造線を引き、そこに瓶やギター、新聞、果物皿を差し込んでいく。だから彼の絵は同時代のどのキュビスムより輪郭が澄んでいて、色も明るい。ピカソの肖像(1912年)は敬愛と対抗心の両方がにじむ野心作で、この年のアンデパンダン展に出品して画壇に名を刻んだ。翌年には画商カーンワイラーと契約を結び、生活はようやく落ち着く。《フルーツ皿とマンドリンのある静物》朝食のテーブル(1915年)など、新聞紙の質感や木目までコラージュのように描き分けた静物画群が、この時期の到達点になる。
セザンヌの構築的な空間から出発しながら、それを独自の「総合的キュビスム」へと磨き上げたグリスは、詩人ピエール・ルヴェルディやガートルード・スタインとも親しく、理論家としても一目置かれた。1920年代にはディアギレフのバレエ・リュスの舞台美術も手がけている。だが体は弱く、腎臓の病に長く苦しんだ末、1927年、パリ郊外ブローニュ=ビヤンクールで40歳という若さで世を去った。キュビスムをもっとも明晰な形で完成させた画家、という評価は今も揺るがない。
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