マドリードで生まれ、1906年にパリへ出た青年は、まずモンマルトルの安下宿バトー・ラヴォワールに部屋を借りる。隣人はパブロ・ピカソだった。最初は風刺雑誌の挿絵で糊口をしのぎ、画家として本格的に立つのは1910年前後、すでにキュビスムが動き出したあとのことだ。
1914
1926
1915
1921・リトグラフ