団体
アンデパンダン展
あんでぱんだんてん
アンデパンダン展(あんでぱんだんてん)は、1884年にパリで結成された独立芸術家協会(アンデパンダン協会、Société des Artistes Indépendants)が毎年開く美術展覧会で、フランス語の名からサロン・デ・ザンデパンダンとも呼ばれる。官展(サロン)の審査に落ちたルドン、スーラ、シニャックらが中心となって始め、審査も賞も設けず、会費を払えばだれでも出品できることを原則とした。ゴッホ、セザンヌ、アンリ・ルソー、マティスらが出品して近代美術の展開に大きな役割を果たし、1911年には第41室でキュビスムの画家たちの作品が初めてまとまって人々に示された。日本で戦後に始まった無審査の「日本アンデパンダン展」は、この展覧会にならったもの。
出典: コトバンク「アンデパンダン展」(百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典・日本大百科全書(友部直)、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/あんでぱんだん展-3142470、コトバンク「アンデパンダン」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/あんでぱんだん-3206996、コトバンク「シニャック」(百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典・精選版 日本国語大辞典・日本大百科全書(大森達次)、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/しにやつく-3154086、fr.wikipedia「Salon des indépendants」(2026-09-15 版、2026-10-12 取得) https://fr.wikipedia.org/wiki/Salon_des_indépendants、en.wikipedia「Société des Artistes Indépendants」(2026-07-25 版、2026-10-12 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Société_des_Artistes_Indépendants、国立西洋美術館「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命」展の出品リスト(2026-10-12 取得) https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/pdf/2023cubisme_list.pdf
年表・沿革
1884
- 5月15日から、官展の審査に落ちた画家たちが「独立芸術家集団」を名のって、テュイルリーの仮設の建物で400人を超える画家の作品を並べた。
- 6月、ルドンを議長に、スーラ、シニャック、クロス、アングラン、デュボワ=ピエらが独立芸術家協会を結成し、12月から翌年1月まで、審査も賞もない第1回展を開いた。
1886
- アンリ・ルソーが初めて出品し、その後も没するまで出品を続けた。
1908
- 創設者の一人のシニャックが会長となり、長くその座にあった。
1911
- キュビスムの画家たちが陳列委員会を押さえて第41室に作品をまとめ、メッツァンジェ、グレーズ、レジェ、ドローネー、ル・フォーコニエらの絵が大きな騒ぎを呼んだ。
1920
- 第一次世界大戦で途絶えていた展覧会が、初めてシャンゼリゼのグラン・パレで開かれた。
1923
- 3月30日、独立芸術家協会が公益に資する団体と認められた。
1947
- 12月、日本美術会がこの展覧会にならった無審査の「日本アンデパンダン展」を始め、1949年2月には読売新聞社の主催する読売アンデパンダン展も始まった。
関連人物
- 創設者 アルベール・デュボワ=ピエ 1884〜
軍人で新印象派の画家。1884年5月の展覧会の会場を当局から手に入れ、スーラ、シニャック、ルドンと協会の創立を進めて定款を書き、1888年まで展覧会を取りしきった
- 創設会員 アンリ=エドモン・クロス 1884〜
新印象派の画家。協会の創立に加わり、スーラやシニャックと交わった
- 創設会員 シャルル・アングラン 1884〜
新印象派の画家
- 出品者 アンリ・ルソー 1886〜
独学の素朴派の画家。1886年から終生出品を続けた。東京国立近代美術館の《第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神》(1905〜06年)は、この展覧会への参加を呼びかける自由の女神を描いた絵
- 出品者 ポール・セザンヌ 1899〜1902
1899年の第15回展に初めて出品し、1901年の第17回展と1902年の第18回展にも出した。
- 出品者・陳列委員 アンリ・マティス 1901〜1907
1901年から3年続けて出品した。1905年は陳列委員会を率いて《豪奢、静寂、逸楽》を出し(シニャックが買った)、1906年も陳列委員の一人として生きる喜びを出した。1907年には青い裸体(ビスクラの思い出)を出した。
- 出品者 アンドレ・ドラン 1905〜
1905年、マティスに勧められてヴラマンクとともに出品した。1907年の展覧会にもマティス、ブラックらと並び、占領下の1943年と1944年にも出品した。
- 出品者 ピエト・モンドリアン 1911〜1913
1911年、より抽象的な作品を1点出したのが、国際的な評価を求めた最初の試みだった。パリに移ったあとの1913年には第29回展に初めて抽象作品を出し、その出品はアポリネールの目にとまった。
- 出品者
- 会長 マクシミリアン・リュス 1935〜
新印象派の画家。第3回展から出品し、1909年に副会長、1935年にシニャックを継いで会長となった
