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団体

セクション・ドール

せくしょんどーる

セクション・ドール(せくしょんどーる)は、1911年ごろからパリ郊外ピュトーのジャック・ヴィヨンのアトリエなどに集まった、キュビスムの画家・彫刻家・詩人・批評家の集団で、ピュトー・グループ(ピュトー派)とも呼ばれる。名は「黄金分割」の意で、レオナルド・ダ・ヴィンチの『絵画論』が重んじた比例に打たれたヴィヨンが選んだ。1912年10月にパリのラ・ボエシ画廊で開いた展覧会は、画家たち自身が開いたキュビスムの展覧会として最大のもので、創始者のピカソとブラックを除く多くの共鳴者が加わり、第一次世界大戦前で最も重要なキュビスムの展覧会とされる。

出典: ja.wikipedia「ピュトー・グループ」(2023-08-03 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/ピュトー・グループ、en.wikipedia「Section d'Or」(2025-12-17 版、2026-10-12 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Section_d'Or、ラルース『Dictionnaire de la peinture』より「Section d'or」(Encyclopédie Larousse、2026-10-12 取得) https://www.larousse.fr/encyclopedie/peinture/Section_dor/154354、ポンピドゥー・センター「Jacques Villon, Soldats en marche, 1912」(作品の記録とフランソワーズ・リュクベールの解説、2026-10-12 取得) https://www.centrepompidou.fr/fr/ressources/oeuvre/cGEXjkz、コトバンク「キュビスム」(百科事典マイペディア・改訂新版 世界大百科事典(八重樫春樹)・日本大百科全書(中山公男)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ほか、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/きゆびすむ-3149138

年表・沿革

  1. 1911

    • アメリカの画家ウォルター・パックの仲立ちで、ピュトーのジャック・ヴィヨンとレイモン・デュシャン=ヴィヨンの兄弟がクールブヴォワのグレーズと知り合い、ヴィヨンとグレーズのアトリエでの集まりに、マルセル・デュシャン、クプカ、メッツァンジェ、ピカビア、レジェらが加わった。
    • 秋のサロン・ドートンヌで陳列を任されたレイモン・デュシャン=ヴィヨンが、仲間の絵をグラン・パレの中央の部屋にまとめ、これがピュトー・グループの最初の示威となった。
  2. 1912

    • 10月10日から30日まで、パリのラ・ボエシ画廊で「セクション・ドール」展を開いて200点を超える作品を並べ、開幕に合わせて雑誌『ラ・セクション・ドール』を出した。
    • グレーズとメッツァンジェが、この展覧会に備えて、キュビスムについての最初の理論書『キュビスムについて』を出した。
  3. 1914

    • 第一次世界大戦が始まり、集団の活動は途絶えた。
  4. 1920

    • 3月、グレーズらが同じラ・ボエシ画廊で2回目のセクション・ドール展を開いた。
  5. 1925

    • ヴァヴァン=ラスパイユ画廊で、この集団として最後のセクション・ドール展が開かれた。
  6. 2005

    • 1912年の展覧会に出たグレーズの大作《収穫物の脱穀》を、国立西洋美術館が購入した。

関連人物

  • 1910年、ジャック・ヴィヨンのアトリエでのグレーズ、メッツァンジェ、ル・フォーコニエとの集まりに加わり、それがセクション・ドールの始まりとなった。1912年10月、パリのラ・ボエシ画廊のセクション・ドール展に出品した。

  • 命名者・中心人物
    ジャック・ヴィヨン 1911〜

    画家・版画家。本名ガストン・デュシャン。ピュトーの彼のアトリエが集まりの場となり、レオナルド・ダ・ヴィンチの『絵画論』の比例の考えから「セクション・ドール」の名を選んだ

  • 中心人物
    レイモン・デュシャン=ヴィヨン 1911〜

    彫刻家。ヴィヨンの弟で、マルセル・デュシャンの兄。1911年のサロン・ドートンヌで仲間の絵を一室にまとめた。第一次世界大戦に軍医として従軍し、1918年に病没した

  • 中心人物
    アルベール・グレーズ 1911〜

    画家・理論家。クールブヴォワの彼のアトリエも集まりの場となった。1912年の展覧会に大作《収穫物の脱穀》(国立西洋美術館)を出し、メッツァンジェと『キュビスムについて』を著した。1920年に2回目の展覧会を開いた

  • 中心人物
    ジャン・メッツァンジェ 1911〜

    画家・理論家。グレーズと『キュビスムについて』(1912年)を著した

  • 創立に参加
    フランシス・ピカビア 1911〜

    画家。1912年の展覧会に出品したが、まもなく離れ、のちダダの運動を進めた

  • 参加
    フランティセック・クプカ 1911〜

    ボヘミア(いまのチェコ)出身の画家。ピュトーでヴィヨンの隣に住み、集まりに加わった。1911〜12年ごろには完全な抽象絵画に至った

  • 参加
    アレクサンダー・アーキペンコ 1911〜

    キーウ出身の彫刻家。1911年のサロンのあとピュトーとクールブヴォワの集まりに通い始め、1920年の2回目の展覧会も支えた

  • 批評家(擁護者)
    ギヨーム・アポリネール 1912〜

    詩人・美術評論家。1912年の展覧会で開幕のあいさつと講演をし、批評家モーリス・レナルとともに、新聞に攻撃されたこの集団を擁護した

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