期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%
フェルナン・レジェ

フェルナン・レジェ

Fernand Léger
6 作品

日に照らされた75ミリ砲の砲尾を見て、1912〜13年の抽象を忘れた、とフェルナン・レジェは語っている。人の体を円筒のように描き、都市や家庭の暮らしに機械文明の美しさを見いだしたフランスの画家である。

1881年、ノルマンディーのアルジャンタンに生まれた。父は牛を育てていた。建築家のもとで見習いをし、パリに出てからも製図工として働きながら絵を学んだ。

1907年のポール・セザンヌの回顧展に大きな影響を受けた。セザンヌからは、形と量感を愛することを教わったという。画家の母という別題もある縫い物をする女性では、人物を自動人形のような形にまとめた。この絵は1911年のサロン・デ・ザンデパンダンに出品され、キュビスムをパリの人々に示す作品の一つとなった。

円筒形を強調した画風は、批評家に「チュビスム」と呼ばれた。1912年3月のサロン・デ・ザンデパンダンに出した大作婚礼には、新郎新婦を囲む招待客の行列が描かれている。主題は読み取りにくく、詩人アポリネールでさえ未完成の作と受け取った。続く「形のコントラスト」の連作で、絵は抽象に近づいた。

第一次世界大戦では工兵として前線に出て、1916年にヴェルダンで毒ガスを受け、入院した。冒頭の言葉も、この従軍の経験を語ったものだ。周囲の男たちの粗さやユーモア、実用への確かな感覚にも触れ、俗語のように色と動きに富んだ絵を描きたくなったという。

戦後の都市では、型紙で刷った文字や鉄骨のかけらが、広告板や足場を表して大きな画面を満たした。レジェ自身も画業の大きな成果に数えた絵である。Three Women(1921〜22年)では、古くから描かれてきた休む裸婦の群像を、機械の時代に合わせて描き直した。

1924年、映画作家ダドリー・マーフィーと映画「バレエ・メカニック」を作った。同年、ピュリスムを始めた画家アメデオ・オザンファンと画塾アカデミー・モデルヌを開いた。

第二次世界大戦中はアメリカで活動した。ブロードウェイの電飾広告に着想を得て、色を物の輪郭から切り離す試みを始めた。帰国後はパリで制作と教育を再開し、晩年には教会のモザイクやステンドグラス、ニューヨークの国連本部の壁画も手がけた。

1955年、パリ近郊のジフ=シュル=イヴェットで没した。亡くなる数か月前に南仏ビオで買った土地に、1960年、フェルナン・レジェ美術館が開かれた。

フェルナン・レジェの作品をお持ちですか?

Cugiraで出品してみませんか?

出品する
6件