主義・運動
ピュリスム
ぴゅりすむ
ピュリスム(ぴゅりすむ)は、第一次世界大戦が終わった1918年の末に、画家オザンファンと、のちにル・コルビュジエと名のる建築家シャルル=エドゥアール・ジャンヌレが始めた芸術運動で、純粋主義とも訳される。二人は共著『キュビスム以後』で、装飾に堕したとみたキュビスムを批判し、瓶やグラスのような規格化された日用品を、細部をそぎ落とした明快な形で描いて、機械の時代にふさわしい普遍的な造形を目ざした。1920年から1925年まで出した雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』を拠点とし、フェルナン・レジェも加わった。影響は絵画よりも建築やデザインに大きく、ル・コルビュジエの近代建築につながった。
出典: コトバンク「ピュリスム」(デジタル大辞泉・百科事典マイペディア、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/ぴゆりすむ-3185502、コトバンク「ピューリスム」(日本大百科全書(染谷滋)、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/ぴゆーりすむ-3166302、コトバンク「純粋主義」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/純粋主義-78641、テート「Purism」(Art Terms、2026-10-12 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/p/purism、国立西洋美術館「国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」展の頁(2019年2月19日〜5月19日、2026-10-12 取得) https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019lecorbusier.html、ja.wikipedia「ピュリスム」(2023-09-18 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/ピュリスム
年表・沿革
1917
- パリに移り住んだジャンヌレが、建築家オーギュスト・ペレの仲立ちで画家オザンファンと出会った。
1918
- 二人が共著『キュビスム以後』でピュリスムを唱え、12月にはパリのトマ画廊で二人の最初の展覧会を開いた。
1920
- 10月、詩人ポール・デルメとともに雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』を創刊し、ジャンヌレはその誌上で「ル・コルビュジエ」の筆名を使い始めた。
1921
- 1月、パリのドリュエ画廊で、オザンファンとジャンヌレのピュリスムの絵の展覧会が開かれた。
1923
- ル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレが収集家ラウル・ラ・ロッシュの家の設計と建設に取りかかり、1925年にできたラ・ロッシュ邸は、建築でのピュリスムの最初の表現とされる。
1924
- フェルナン・レジェがピュリストに近づいて『エスプリ・ヌーヴォー』に加わり、1927年までオザンファンたちとピュリスムを追求した。
1925
- パリの現代装飾・工業美術国際展で、ル・コルビュジエのエスプリ・ヌーヴォー館にオザンファン、ル・コルビュジエ、レジェの作品が掛けられて運動は頂点を迎えたが、そのあとオザンファンとル・コルビュジエは袂を分かった。
2019
- 国立西洋美術館が開館60周年を記念して「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」展を開き、ル・コルビュジエの設計した本館で、ピュリスムの時代の作品と資料を紹介した。
関連人物
- 紹介者 オーギュスト・ペレ 1917〜
建築家。1917年の末にオザンファンとジャンヌレを引き合わせた。ジャンヌレは1908〜09年にパリのペレの事務所で働いていた
- ル・コルビュジエ 1918〜
画家オザンファンと1918年に『キュビスム以後』を著してピュリスムを唱え、同じ年に初めてのピュリスムの油彩《暖炉》を描いた。
- アメデオ・オザンファン 1918〜
1918年にジャンヌレ(ル・コルビュジエ)との共著『キュビスム以後』でピュリスムを提唱し、その代表的な存在となった。
- 共同創刊者 ポール・デルメ 1920〜
ベルギー出身の詩人・批評家。1920年にオザンファン、ジャンヌレと雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』を創刊した
- 収集家・施主 ラウル・ラ・ロッシュ 1921〜
スイスの銀行家。1921年にはル・コルビュジエとオザンファンが彼のためにカーンワイラーの競売で作品を買い、1923〜25年には、収集した絵を見せる画廊をもつ自宅(ラ・ロッシュ邸)がル・コルビュジエの設計で建てられた
- フェルナン・レジェ 1924〜1927
1920年にル・コルビュジエと知り合い、1924年にはオザンファンと画塾アカデミー・モデルヌを開いて、ピュリストに近づき雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』に加わった。1924〜27年にオザンファンたちとピュリスムを追い、1925年にはル・コルビュジエのエスプリ・ヌーヴォー館に壁画を出した。
