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主義・運動

印象派

いんしょうは

印象派(いんしょうは)は、19世紀後半のフランスで起こった、絵画を中心とする芸術運動。サロン(官展)で落選の続いたモネ、ルノワール、ピサロ、ドガ、シスレーらが1873年に共同出資会社をつくり、1874年から1886年まで8回のグループ展(印象派展)を開いた。名は、第1回展に出たモネの《印象・日の出》から、批評家ルイ・ルロワが皮肉を込めて使った呼び名に由来する。戸外で描き、物の固有色にとらわれず、絵具を混ぜずに明るい色を筆触のまま並べて、移ろう光と大気をとらえた。

出典: コトバンク「印象主義」(改訂新版 世界大百科事典(馬渕明子・高階秀爾)・日本大百科全書(池上忠治)・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/印象主義-32917、ja.wikipedia「印象派」(2026-07-30 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/印象派、ja.wikipedia「第1回印象派展」(2025-11-07 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/第1回印象派展、Encyclopaedia Britannica「Impressionism」(2026-10-11 取得) https://www.britannica.com/art/Impressionism-art

年表・沿革

  1. 1863

    • サロンに落選したマネの《草上の昼食》が落選展でスキャンダルを巻き起こし、これを機に、のちの印象派の若い画家たちがマネを囲んでカフェ・ゲルボアに集まるようになった。
  2. 1870

    • 普仏戦争が起こってバジールが戦死し、ロンドンに逃れたモネとピサロは、そこで画商デュラン=リュエルと知り合った。
  3. 1873

    • 12月27日、モネ、ルノワール、ピサロ、ドガ、シスレーらが、自分たちの展覧会を開くために「画家、彫刻家、版画家等の芸術家の共同出資会社」を設立した。
  4. 1874

    • 4月15日から5月15日まで、パリのカピュシーヌ大通りにある写真家ナダールの旧アトリエで共同出資会社の第1回展(のちの第1回印象派展)を開き、30人が165点を出品した。
    • 4月25日、批評家ルイ・ルロワが風刺新聞『ル・シャリヴァリ』で、モネの《印象・日の出》にかけて第1回展を「印象派の展覧会」と皮肉り、この呼び名がグループの名になった。
  5. 1877

    • 第3回展で、画家たちは「印象派」をみずからグループの名として掲げ、ルノワールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》などを並べた。
  6. 1886

    • 5月に最後の第8回展を開き、スーラやシニャックが加わる一方で、モネ、ルノワール、シスレーは出品しなかった。
  7. 1893

    • 明治26年、フランスでラファエル・コランに学んだ黒田清輝と久米桂一郎が帰国し、印象派の影響を受けた明るい色彩の画風を日本の洋画にもたらした。

関連人物

  • グループ展の発案者の一人
    フレデリック・バジール 1867〜

    グレールの画塾でモネ、ルノワール、シスレーと知り合った。1870年に普仏戦争で戦死した

  • 画商
    ポール・デュラン=リュエル 1870〜

    1876年の第2回展に自分の画廊を貸し、1886年にはニューヨークで印象派の大きな展覧会を開いてアメリカに市場を開いた

  • 共同出資会社の創立会員
    アルマン・ギヨマン 1873〜

    8回の印象派展のうち6回に出品した

  • 第1回展の出品者
    ウジェーヌ・ブーダン 1874〜

    少年時代のモネに油彩と戸外での制作を教えた

  • 第1回展の出品者
    フェリックス・ブラックモン 1874〜

    版画家。浮世絵など日本の美術にいち早く目を留めた一人

  • 批評家
    ルイ・ルロワ 1874〜

    『ル・シャリヴァリ』紙の評で、第1回展を「印象派の展覧会」と皮肉った

  • 1874年の第1回展に出した印象・日の出の題が派の名のもとになった、印象派の中心的な画家。

  • 第7回を除くすべての印象派展に出品して運動を推し進めたが、戸外の光を追う描き方はとらず、アトリエで制作した。

  • 1874年から1886年までの8回の印象派展すべてに出品したただ一人の画家で、グループの組織と結束に力を尽くした。

  • 1874年の第1回展から4回の印象派展に出品し、1870年代の印象派の画風を生涯変えずに守った風景画家。

  • 1874年の第1回展から1回を除くすべての印象派展に出品し、母と子など身近な情景を描いた。

  • 1870年代にピサロのもとで印象主義を学び、1874年の第1回展と1877年の第3回展に出品したが、のちに独自の構築的な画風へ進んだ。

  • 1876年の第2回展から出品した画家で、裕福な家の財力で仲間を支え、1877年の第3回展の費用も助けた。

  • 批評家
    テオドール・デュレ 1878〜

    『印象派の画家たち』(1878年)で印象派を擁護した

  • 初めピサロに学んで印象派に近づき、1879年の第4回から1886年の第8回(最後の回)まで、5回の印象派展に出品した。のちに総合主義・象徴主義へ進んだ。

  • ドガに見いだされて1879年の第4回展から印象派展に出品した、印象派でただ一人のアメリカ人画家。

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