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アンドレ・ドラン

アンドレ・ドラン

André Derain
12 作品

アンドレ・ドランは、フォーヴの絵の色を「ダイナマイトの棒」にたとえた画家だ。アンリ・マティスとともにフォーヴィスム(野獣派)を始め、強い色でロンドンを描いたのち、古典的な画風へ向かった。

1880年、パリ近郊のシャトゥーに生まれた。画塾アカデミー・カリエールでマティスと知り合い、モーリス・ド・ヴラマンクとは列車の事故をきっかけに出会ったという言い伝えがある。二人は町の橋のたもとにある元レストランをアトリエにし、「シャトゥー派」とも呼ばれた。兵役から戻ったドランが画家の道を続けられるよう、両親の説得を手伝ったのはマティスだった。

1905年の夏、ドランは南フランスの港町コリウールでマティスと制作した。その秋のサロン・ドートンヌで、二人は色を、ものを写す役目から解き放つ描き方を示した。第7室には、絵に囲まれてイタリア風の彫刻が置かれていた。批評家ルイ・ヴォークセルがこれを野獣の檻にいるドナテロと評したことから、フォーヴィスムの名が生まれた。

1906年3月、画商アンブロワーズ・ヴォラールはドランをロンドンへ送った。数年前にパリで評判を呼んだ、クロード・モネがテムズ川の連作で見せた表現を、すっかり新しくする絵が欲しかったのだと、ドランはのちに手紙に書いている。モネが3つの主題を繰り返し描いたのに対し、ドランは国会議事堂から東のグリニッジまで、描く場所を次々に変えた。ヴォラールは連作30点をすべて買い取った。ビッグ・ベンロンドン・プールチャリング・クロス橋も、この連作に含まれる。

やがてポール・セザンヌの厳密な絵の組み立てに惹かれ、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックと交わってキュビスムに近づいたが、形を分解するところまでは進まなかった。1912年ごろには、シエナ派などルネサンス以前の絵に学ぶ「ゴシック時代」に入り、二人の姉妹のような大作を描いた。

第一次世界大戦のあとは、カミーユ・コローやジャン=バティスト・シメオン・シャルダンを研究し、古典の伝統を現代に引き継ぐ立場を築いた。1919年には、バレエ・リュスの「奇妙な店」の美術と衣装も手がけた。

1941年、ナチス・ドイツのゲッベルスが発案したドイツへの研修旅行に参加した。そのためフランス解放後は対独協力者と見なされ、多くの支持者が離れた。1954年9月、パリ近郊のガルシュで、自動車事故がもとで没した。74歳だった。

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