団体
ブリュッケ
ぶりゅっけ
ブリュッケ(ぶりゅっけ)は、ドレスデンの工科大学で建築を学んでいたエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、エーリヒ・ヘッケル、カール・シュミット=ロットルフ、フリッツ・ブライルの4人が、1905年に結成した画家のグループ。名はドイツ語で「橋」を意味し、シュミット=ロットルフが付けた。強い色彩と単純化した形、木版画の復興で知られ、ドイツ表現主義の最初の運動とされる。1911年に活動の場をベルリンへ移し、1913年に解散した。
出典: コトバンク「ブリュッケ」(改訂新版 世界大百科事典(土肥美夫)・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/ぶりゆつけ-3186208、コトバンク「表現主義美術」(日本大百科全書(野村太郎)、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/表現主義美術-1582653、de.wikipedia「Brücke (Künstlergruppe)」(2026-09-11 版、2026-10-11 取得) https://de.wikipedia.org/wiki/Brücke_(Künstlergruppe)、ブリュッケ美術館「Karl Schmidt-Rottluff」(2026-10-11 取得) https://www.bruecke-museum.de/en/sammlung/kuenstler/792/karl-schmidt-rottluff
年表・沿革
1905
- 6月7日、ドレスデンで建築を学んでいたキルヒナー、ブライル、ヘッケル、シュミット=ロットルフの4人が結成した。
1906
- マックス・ペヒシュタイン、エミール・ノルデ、スイスの画家クーノ・アミエが会員に加わった。
- 9月、ドレスデンのレーブタウ地区にあるザイフェルト社のランプ工場の展示室で、ドレスデンで最初の展覧会を開いた。
1910
- ベルリン分離派に落選したペヒシュタインらが新分離派を結成すると、ほかの会員もそろって加わり、新分離派の最初の展覧会で会員たちと知り合ったオットー・ミュラーが最後の会員になった。
1911
- 年末にかけて、先にベルリンへ移っていたペヒシュタインに続き、ほかの会員もドレスデンからベルリンへ移った。
1912
- ミュンヘンの青騎士の第2回展とケルンのゾンダーブント展にそろって出品したが、その直後、無断でベルリン分離派に出品したペヒシュタインを除名した。
1913
- キルヒナーが書いた『ブリュッケ年代記』をめぐって会員が対立し、5月27日に解散を告げた。
1967
- 9月15日、シュミット=ロットルフの寄贈をもとに、ベルリンのダーレム地区にブリュッケ美術館が開館した。
関連人物
- 創立会員 エーリヒ・ヘッケル 1905〜
会の事務を担い、シュミット=ロットルフと空き店舗を借りて最初のアトリエにした
- 創立会員 カール・シュミット=ロットルフ 1905〜
会の名を付けた。1964年の寄贈でブリュッケ美術館の設立を導いた
- 創立会員 フリッツ・ブライル 1905〜
1907年に会を離れた
- 創立会員 エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー 1905〜1913
1905年6月7日、ドレスデンで建築の学生仲間ブライル、ヘッケル、シュミット=ロットルフと結成し、綱領を書いた。1906年にペヒシュタイン、ノルデ、アミエが加わった。1913年5月、キルヒナーが書いた「ブリュッケ年代記」をめぐる対立から解散した。
- 会員 マックス・ペヒシュタイン 1906〜
1912年、無断でベルリン分離派に出品したとして除名された
- 会員 クーノ・アミエ 1906〜
スイスの画家
- 支援会員 ローザ・シャピーレ 1907〜
ハンブルクの美術史家。シュミット=ロットルフの作品を多く集めた
- 会員 オットー・ミュラー 1910〜
新分離派の最初の展覧会で会員たちと知り合って加わった
- 支援会員 グスタフ・シーフラー
ハンブルクの法律家・版画収集家。ノルデやキルヒナーらの版画目録を作った
