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エドヴァルド・ムンク

エドヴァルド・ムンク

Edvard Munch
14 作品

叫んでいるのは絵の中の人物ではなく、世界そのものだ。オスロのフィヨルドを望む橋の上で、ムンクはある夕暮れ、空が「血のように赤く」染まるのを見た。友人たちは先へ歩いていき、彼だけがその場に立ち尽くし、自然を切り裂く果てしない叫びを聞いた気がしたという。叫びはその体験の記録であり、誇張された表現主義の実験である以前に、ひとりの人間が実際に感じた不安の証言だった。

医者の家に生まれたが、幼くして母を、少女期の姉を結核で失い、死と病は生涯ムンクの画題から離れなかった。父は敬虔で厳格、時に精神を病み、その重苦しい家庭の空気が後年の作品に影を落としている。オスロで絵を学んだ後、パリに渡りゴッホやゴーギャンの色彩、ロートレックの線描に触れ、印象派の穏やかな写実から離れて内面の感情を色と形で直接叩きつける方向へ進んだ。ベルリンでは劇作家ストリンドベリらと交わり、当時のドイツ画壇に衝撃を与えて「ムンク事件」と呼ばれる展覧会中止騒動まで起こしている。

彼が生涯かけて取り組んだ連作《生命のフリーズ》には、愛、嫉妬、不安、死という主題が繰り返し現れる。病める子は姉の死を、思春期は少女のおびえを、マドンナは生と性と死が絡み合う女性像を描いた。輪郭線をうねらせ、色面を単純化し、感情の震えをそのまま画面に定着させる手法は、後のドイツ表現主義に直接の道を開いた。木版画やリトグラフでも旺盛に制作し、同じモチーフを版を替えて何度も掘り下げる執拗さも彼らしい。

1908年、神経衰弱でコペンハーゲンの療養所に入院し、そこから比較的落ち着いた晩年を迎える。故郷近くのエーケリーに居を構え、農作業や自画像、風景画を描きながら孤独に暮らした。第二次大戦下、ナチスに「退廃芸術」と断じられながらも作品を手放さず、1944年、80歳で世を去った。遺した膨大な作品群はオスロのムンク美術館に収蔵され、彼が見た「叫び」は今も色褪せず観る者を捉えて離さない。

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