
オットー・ディックス
ゲラ近郊の貧しい鋳物工の家に生まれ、装飾画家の徒弟からドレスデンの工芸学校へと這い上がった。絵の道具箱を背負って育った人間ではない。だからこそ彼の目は、後年のどんな残酷な絵を描くときも、生活の手触りを失わなかった。
第一次大戦に志願し、機関銃手として西部戦線に四年近くいた。塹壕の泥、腐乱した死体、鉄条網に引っかかった兵士の姿を、ディックスはスケッチブックに描き続けた。「戦争は野獣のような何かだ、飢え、シラミ、泥、狂った音、それを一度は経験しておかねばならない」と後に語っている。復員後の1924年、その体験を50点の銅版画に凝縮した連作《戦争》を発表する。ゴヤの《戦争の惨禍》を思わせる直截さで、勲章や英雄譚を一切排した戦争画として、美術史上に類を見ない資料となった。
戦後はドレスデン、続いてベルリンに拠点を移し、ゲオルゲ・グロスらとともに新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)の中心人物となる。表現主義の熱狂から距離を置き、冷徹なまでに対象を凝視する眼で、ワイマール共和国の退廃と混乱を描いた。娼婦、傷痍軍人、興行師、闇市の商人——社会の裏側にいる人々を容赦なく、しかし憐憫も込めて捉えた。代表作《ジャーナリスト、シルヴィア・フォン・ハルデンの肖像》(1926年)は、片眼鏡と紙巻き煙草を手にした新しい女性像を、古典絵画のような技巧で描き切っている。三連画《大都会》(1927-28年)も、享楽と貧困が背中合わせの都市の姿を見せつける。
1927年にドレスデン美術アカデミーの教授に就任するが、1933年のナチス政権掌握とともに解任され、絵は「退廃芸術」の烙印を押されて没収された。ボーデン湖畔のヘミングホーフェンに逼塞し、当局の目を逃れるため風景画や宗教画を描いて糊口をしのいだ。1945年には民兵組織フォルクスシュトゥルムに召集され、フランスで捕虜となっている。戦後はドイツに戻り制作を続けたが、かつての鋭さは後景に退き、晩年は宗教的主題に沈潜していった。1969年、ジンゲンで没した。
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