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岡本太郎

岡本太郎

おかもとたろうTaro Okamoto
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1951年の秋、東京国立博物館の一室で、岡本太郎は火焔土器の前から動けなくなった。縁から炎のように立ちのぼる粘土の突起、渦を巻く縄目——縄文の壺を「原始的で拙い」と教科書が片づけていた時代に、彼はそこに四次元の緊張を見た。翌年『みずゑ』に発表した「四次元との対話——縄文土器論」は、日本美術のはじまりを弥生の端正さではなく縄文の激烈さに置き直し、戦後の美術史を一枚めくってみせる。

岡本太郎(1911〜1996)は、神奈川県の二子(現・川崎市高津区)に生まれた。父は漫画家の岡本一平、母は歌人で小説家の岡本かの子。東京美術学校を半年で放り出し、1930年に渡仏、以後およそ十年をパリで過ごす。抽象芸術の国際団体アプストラクシオン・クレアシオンに最年少で名を連ねる一方、パリ大学でマルセル・モースに民族学を学んだ。造形とフィールドワークの二本の糸が、生涯の仕事を裏で撚り合わせていく。1936年の《傷ましき腕》——赤いリボンを結んだ女の腕から血がにじむこの一枚は、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム簡易辞典』に採録された。同じ頃、思想家ジョルジュ・バタイユの集会に出入りし、その秘密結社に加わったが、数年で袂を分かっている。母かの子の訃報を、彼はパリで受け取った。

帰国後に太郎が掲げたのが「対極主義」だ。合理と不合理、抽象と具象——相反するものを溶け合わせず、ぶつかったまま画面に叩きつける。《森の掟》(1950年)では、赤い胴にファスナーを走らせた奇怪な獣が小さな生きものたちを追い、原色と太い黒の輪郭線が渦を巻く。1954年の著書『今日の芸術』では「芸術はうまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」と言い切り、絵の上手下手に縛られた読者を挑発した。

1968年、メキシコで描いた縦五メートル横三十メートルの巨大壁画《明日の神話》は、原爆が炸裂する瞬間を主題としながら、燃える骸骨の躍動をどこかグロテスクに笑わせる。長く行方知れずだったこの壁画は、のちに渋谷駅の連絡通路に据えられ、いまも通勤客の頭上で燃えている。

1970年、大阪万国博覧会。太郎は丹下健三の設計した屋根を内側から突き破り、《太陽の塔》をそびえ立たせた。過去・現在・未来を象る三つの顔を持つ塔は、整然と描かれた「進歩と調和」の未来像に、真正面から異物を突き刺した。「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」とテレビで笑い、「芸術は爆発だ」と叫んだ男は、パーキンソン病で世を去るまで前衛の側に立ち続けた。

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