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団体

春陽会

しゅんようかい

春陽会(しゅんようかい)は、1922年(大正11年)1月14日に東京で発足した洋画(油絵などの西洋風の絵)の美術団体で、今は絵画部と版画部をもつ。1920年に日本美術院の洋画部を離れた小杉未醒(のちの放庵)・森田恒友・山本鼎・倉田白羊・足立源一郎・長谷川昇に梅原龍三郎を加えた7人を会員とし、草土社の岸田劉生・木村荘八・中川一政・椿貞雄や萬鉄五郎、石井鶴三らを客員に迎えた。会としての主義主張を立てず、画家それぞれの個性を重んじる「各人主義」をうたい、展覧会には油彩のほか版画・水墨画・素描・新聞挿絵の原画も分け隔てなく並べた。1923年に上野で第1回展を開き、帝展・二科会と並ぶ在野の洋画団体となった。梅原・岸田らが早くに去る一方、岡鹿之助や版画の長谷川潔・駒井哲郎らが加わり、毎年春に公募展「春陽展」を開いている。

出典: コトバンク「春陽会」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・百科事典マイペディア・改訂新版 世界大百科事典(原田実)・日本大百科全書(ニッポニカ、佐伯英里子)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典・山川 日本史小辞典 改訂新版・旺文社日本史事典 三訂版、2026-10-22 取得) https://kotobank.jp/word/春陽会-78721、一般社団法人春陽会 公式サイト「沿革」(Internet Archive の 2026-01-23 の保存版、2026-10-22 取得。サイトは取得時に 502 で読めなかった) https://shunyo-kai.or.jp/enkaku/ (保存版 https://web.archive.org/web/20260123104221/https://shunyo-kai.or.jp/enkaku/)、一般社団法人春陽会 公式サイト「春陽会の歴史」(2026-02-10 の保存版。「組織概要」の 2026-01-01 の保存版も同じ文、2026-10-22 取得) https://shunyo-kai.or.jp/history/ (保存版 https://web.archive.org/web/20260210093117/https://shunyo-kai.or.jp/history/)、春陽会 編『春陽会パンフレツト』(アルス、大正13年(1924)。緒言は大正12年12月初旬。小杉未醒「招待日の前日まで」・木村荘八「展覧会の間」・山本鼎「展覧会ののち」・「大正十二年の美術界(附大正十一年)」を含む)国立国会図書館デジタルコレクション pid 979764 の全文テキスト(OCR、2026-10-22 取得) https://dl.ndl.go.jp/pid/979764 (全文 https://lab.ndl.go.jp/dl/api/book/fulltext-json/979764)、東京ステーションギャラリー「春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」展覧会ページ(2023年9月16日〜11月12日、2026-10-22 取得) https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202309_shunyo-kai.html、アートプラットフォームジャパン『日本アーティスト事典(DAJ)』「春陽会 (SHUN-YO-KAI)」(最終更新 2025-03-11、2026-10-22 取得) https://artplatform.go.jp/ja/artists/A6366

年表・沿革

  1. 1920

    • 第7回院展のあと、日本画部との対立から、小杉未醒・山本鼎・森田恒友・倉田白羊・足立源一郎・長谷川昇が日本美術院を離れ、洋画部がなくなった。
  2. 1922

    • 1月14日の雪の夜、本郷の燕楽軒で発会式を挙げて発足した。会員は院展洋画部を離れた6人と梅原龍三郎の7人で、岸田劉生・木村荘八・中川一政・萬鉄五郎らを客員に迎えた。
  3. 1923

    • 5月、上野公園の竹の台陳列館で第1回展を開いた。鑑査を公開し、日本画も受け付け、純益は約束どおり出品者全員で分けた。
    • 11月、客員を会員に推し、萬鉄五郎・岸田劉生・中川一政・木村荘八・石井鶴三らが会員となった(客員制の廃止)。
  4. 1925

    • 岸田劉生が退会し、その意見に同調した梅原龍三郎も会を去った。
  5. 1927

    • 第5回展から、会場を上野の東京府美術館(今の東京都美術館)に定めた。
  6. 1928

    • 第6回展で版画を並べる「版画室」を新設し、前年に没した萬鉄五郎の遺作室を設けた。
  7. 1929

    • 9月、麹町区内幸町の幸ビルディングに春陽会洋画研究所を開いた(1937年に閉鎖)。
  8. 1944

    • 第22回展を開き、この年から1946年まで一般公募を中止した。1945年は展覧会を開かなかった。
  9. 1947

    • 3月に日展への不参加を声明し、第24回展から公募展を再開した。
  10. 1951

    • 第28回展から舞台美術部を設け(1961年に廃止)、版画室を版画部と改めて絵画部と並べた。
  11. 1952

    • 第29回展でフランス現代銅版画を特別に陳列し、この年から版画部が独自に審査を行うようになった。
  12. 1984

    • 社団法人春陽会として発足した。
  13. 2007

    • 第84回展から、会場を国立新美術館に移した。
  14. 2023

    • 第100回展を迎え、9月から東京ステーションギャラリーで「春陽会誕生100年 それぞれの闘い」展が開かれた(翌年、栃木・長野・碧南に巡回)。

関連人物

  • 創立会員
    小杉放庵 1922〜

    初号は未醒。再興日本美術院の洋画部を主宰した洋画家で、第1回展のころは会の事務を受け持ち、晩年まで会の中心だった。のち放庵と号を改め、水墨画を多く描いた

  • 創立会員
    森田恒友 1922〜

    発会式の食卓で挨拶した洋画家。のち東洋的な情感をこめた水墨の素描に力を注ぎ、水墨の田園風景画でも知られる

  • 創立会員
    倉田白羊 1922〜

    浅井忠の門人の洋画家。1938年に没したときも会員だった

  • 創立会員
    足立源一郎 1922〜

    以後終始、春陽会展を中心に作品を発表した洋画家。1936年に日本山岳画協会を創立した

  • 創立会員
    長谷川昇 1922〜

    第1回展のころ会計を受け持った洋画家。1936年に声明を出して脱退した(1938年とする資料もある)

  • 創立客員、のち会員
    石井鶴三 1922〜

    彫刻家・洋画家。1924年に会員となり、1973年の葬儀は春陽会葬で営まれた

  • 創立客員、のち会員
    木村荘八 1922〜

    草土社から加わり、1924年に会員となって、小杉放庵・中川一政らと会の中心を担った洋画家。《パンの会》は1928年の第6回展の出品作

  • 創立客員、のち会員
    今関啓司 1922〜

    院展洋画部の出身の洋画家。1924年に会員となり、以後毎年の展覧会に多くの作品を出した

  • 創立客員
    椿貞雄 1922〜

    岸田劉生に師事した洋画家。1927年、劉生らの大調和展の創立のため退会し、1929年に国画会の会員となった

  • 創立客員
    山崎省三 1922〜

    院展洋画部の出身の洋画家。1935年に山本鼎らと会を退いた(人名事典は創立会員とする)

  • 創立会員
    山本鼎 1922〜1946

    1920年に日本美術院を離れ、1922年の創立に会員として加わった。1923年の第1回展に《唐松の港》を出した。1935年、帝国美術院参与に推されて山崎省三・前川千帆らと退会したが、1943年に復帰し、1946年に没した。1948年の第25回展に遺作室が設けられた。

  • 創立会員
    梅原龍三郎 1922〜1925

    日本美術院の洋画部を離れた6人に加わり、7人の創立会員の一人となった。第1回展に《裸婦図》を出し、その純益を出品者全員に分ける計算は梅原の案によった。1925年、岸田劉生の意見に同調して脱会し、翌年、国画創作協会に洋画の部を設けた。

  • 創立客員、のち会員
    岸田劉生 1922〜1925

    1922年の創立に客員として加わり、1923年11月の推挙で会員になった。第1回展に《竹籠含椿》を出した。1925年に退会した。

  • 創立客員、のち会員
    中川一政 1922〜

    草土社の仲間とともに客員として迎えられ、1923年11月の推挙で会員になった。第1回展から出品を続け、第二次世界大戦後は岡鹿之助とともに会の重鎮を担った。1973年の石井鶴三の春陽会葬では委員長を務めた。

  • 創立客員、のち会員
    萬鉄五郎 1922〜1927

    1922年の創立に客員として加わり、1923年11月の推挙で会員になった。1925年の第3回展に羅布かづく人を、1926年の第4回展に《裸婦(ほお杖の人)》を出し、1927年の第5回展の会期中に没した。翌年の第6回展に遺作室が設けられた。

  • 出品者
    三岸好太郎 1923〜

    1923年の第1回展に入選し、翌年の第2回展で《兄および彼の長女》などにより春陽会賞を首席で受けた洋画家。1930年に独立美術協会の創立に加わった

  • 出品者
    三岸節子 1925〜1932

    1925年の第3回展に《自画像》など4点が初入選し、以後出品を続けた。1932年に独立美術協会へ移った。

  • 会員
    河野通勢 1926〜

    1924年に春陽会賞を受け、1926年に会員となった洋画家。1929年に国画会の会員に推されて移った

  • 会員
    長谷川潔 1928〜

    パリに住んだまま1928年に会員となり、1930年代から1960年代初めまで春陽会展に出品した。公式サイトは版画部に加わった画家の一人に挙げる。《アレキサンドル三世橋とフランス飛行船》は1931年の第9回展の出品作。1952年の第29回展のフランス現代銅版画の特別陳列では、フランスの版画家の選定と作品の発送に尽力した。

  • 出品者

    1928年の第6回展に版画7点を出し、《星座の絵》《箒星をみる人々》など3点が入選した。

  • 出品者
    徳力富吉郎 1930〜1933

    1930年から1933年まで、春陽会展にも版画を出した。

  • 会員
    鳥海青児 1933〜

    1924年の第2回展に初入選し、春陽会賞を2度受けたのち、1933年に会員に推された洋画家。1943年に脱会して独立美術協会に移った

  • 会員
    岡鹿之助 1940〜

    約15年のフランス滞在から帰り、1940年に会員として招かれた洋画家。没するまで春陽会展を中心に作品を発表し、戦後は中川一政とともに会の重鎮を担った

  • 版画の会員
    駒井哲郎 1951〜

    1950年に春陽会展に初めて出品して受賞し、翌年会員となった銅版画家

  • 出品者(舞台美術部門)

    1960年の第37回展の舞台美術部門で《ある巨人の話》が入選した。

  • 版画の客員

    公式サイトの会員名簿に、2016年の版では客員会員、2024年と2026年の版では版画客員として載る。

  • 出品者
    前川千帆 〜1935

    版画を春陽会展に出し、1931年の第9回展には《登山軌道》などを出した。1935年、山本鼎らとともに退会した。

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