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徳

徳力富吉郎

とくりきとみきちろうTomikichiro Tokuriki
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西本願寺の絵所を代々あずかる徳力家の、十二代目として生まれた。京都に育ち、京都で仕事をし、京都を彫りつづけて、九十八歳まで生きた。徳力富吉郎(1902〜2000)の生涯は、そのままこの町の社寺と季節をめぐる一巻の版画集のようである。

はじまりは日本画だった。京都市立絵画専門学校を1923年に首席で卒業し、土田麦僊に師事する。国画創作協会に絵を出し、1928年には樗牛賞を受けた──画家としての道はすでに開けていた。それを版画へと折り曲げたのは、昭和初期に関西へ及んだ創作版画運動である。1929年、浅野竹二や麻田弁次らと京都創作版画協会を興し、平塚運一や棟方志功と同人誌『版』『大衆版画』を刊行して、この地の運動の推進役となった。絵師が下絵を描き、彫師と摺師が分業する伝統木版に対し、徳力は下絵から彫り、摺りまでを一人で担う「自画・自刻・自摺」を身につけた。版木にあてる一彫りごとに作者の呼吸が通う――そこに創作版画の芯があり、徳力の版画の手ざわりがある。

その眼は終始、京都と奈良の社寺や名所へ向いた。《奈良興福寺》(1930年)は伽藍を名所案内の図としてではなく、光と影の量塊としてとらえ、《京舞妓》(1930年)は市井の女の姿を、《壬生狂言》(1933年)は面をかぶった演者の身ぶりを、それぞれ版のかたちに移した。1931年には版画集『創作版画花尽』を編み、風景・風俗・草花を横断して自作自摺の技を磨いていく。伽藍や町並みを、雪や霧、季節と光の移ろう情景として彫り出したところに、風景版画家としての持ち味があった。

戦後は工房「まつ九」を構えて後進を育て、1972年には家業の縁につらなる西本願寺のために、聖人の足跡をたどる版画集十二点を制作している。『版画随筆』『日本の版画』『版画入門』などの著述を通じて版画の裾野を広げ、勲四等瑞宝章、京都市文化功労賞を受けた。絵所の家に生まれ、日本画で身を立て、そして一枚の板に彫りと摺りのすべてを託した男の仕事は、二十世紀の京都木版画の一つの背骨をなしている。

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