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平塚運一

平塚運一

ひらつかういちUn'ichi Hiratsuka
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平塚運一(1895〜1997)は、木を彫るという行為そのものを一枚の絵に変えた木版画家である。近代日本の創作版画運動を牽引した一人で、島根県松江に生まれた。祖父は寺社を建てた建築家、父は宮大工——刃物と木の匂いに囲まれて育ったこの生い立ちが、のちに「創作版画運動でもっともよく鍛えられた彫り手」と評される確かな腕を準備した。

一九一五年に上京。洋画家の石井柏亭や岡田三郎助にデッサンを学ぶかたわら、伝統木版の名彫師伊上凡骨について本格的な彫版技術を仕込まれた。素描を見る画家の目と、版木に刃を入れる職人の手——この二つを併せ持ったことが、独学の多かった同時代の版画家のなかで平塚を際立たせている。

浮世絵が絵師・彫師・摺師の分業で成り立ってきたのに対し、平塚は下絵から彫り、摺りまでを一人の手で貫く「自画自刻自摺」に徹した。ここに近代版画の自立がある。一九二八年には棟方志功らと版画誌『版』を創刊し、運動の求心の場をつくった。

彼の彫りを象徴するのが「突き彫り」——鑿を前へ突き出すように刻む独自の刀法で、刀跡の勢いがそのまま線の生命になる。やがて色を捨て、墨一色の白と黒へと画面を絞り込んでいった。「白黒は技術の第一歩とされるが、実は到達点だ」と本人は語っている。黒く彫り残した地に、鋭く抜かれた白い線が走る。寺社、石橋、仏像、そして《裸婦百態》に至るまで、版木を彫るという手応えそのものが紙の上に立ち上がった。関東大震災の焼け跡を記録した《東京震災跡風景》の連作や、一万部の頒布を志した《日蓮聖人》など、記録と祈りをあわせ持つ仕事も残している。

一九三五年から東京美術学校の版画教室で教壇に立ち、戦後の一九四八年には自らの版画講習所を開いた。棟方志功をはじめ畦地梅太郎、北岡文雄、橋本興家ら次代を担う版画家がその薫陶を受けている。生涯を通じて葛飾北斎や歌川広重の古典を敬い、西洋の造形と日本の墨の伝統を一枚の版木の上で結ぼうとした。

一九六二年、六十七歳でワシントンD.C.へ移住。異国でなお彫り続け、九十九歳で帰国するまで刀を置かなかった。一九七〇年に文化功労者に顕彰され、作品はニューヨーク近代美術館、ボストン美術館、メトロポリタン美術館、米議会図書館などに収まっている。長野県須坂には一九九一年に平塚運一版画美術館が開かれた。一〇二歳の長寿を、彫る手とともに全うした人である。

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