
三岸節子
みぎしせつこSetsuko Migishi
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九十三歳の三岸節子が最後に描いたのは、桜だった。《さいたさいたさくらがさいた》——題そのままに、白と桃色の花が画面いっぱいに噴きあがる。もう体の自由はきかず、それでも絵具だけは生きている。花を描いて、描いて、一生をそこに費やした画家の、最後の一枚だった。
1905年、愛知県中島郡(現・一宮市)の織物業の家に生まれた。女子美術学校へ二年次から編入し、首席で卒業する。本郷洋画研究所で岡田三郎助に学び、1924年、独立美術協会の設立に加わった俊英三岸好太郎と結婚した。だが好太郎は1934年、旅先で急逝する。二十九歳の節子は幼い子どもたちを抱え、以後は絵筆一本で家計と画業を背負っていった。
彼女を貫いたのは花である。ただ生けられた花ではない。太い輪郭線と厚く盛り上げた絵具で、咲きほこる生命そのものを画布に叩きつける。マティス、ボナール、ブラックの大胆な色面に学びながら、対象を単純化しても量塊は手放さない。その造形が、花を装飾ではなく生きた塊へと変えた。
戦後は女流画家協会の創立に発起人として加わり、1951年に芸能選奨文部大臣賞を受けた。画家菅野圭介との再婚と離別を経て、1954年、初めて海を渡る。1968年に南仏カーニュ、1974年からはブルゴーニュの小村ヴェロンに居を移し、およそ二十年を異国で描き続けた。《スペインの白い町》の乾いた白壁、行方の知れぬ《ヴェネチア》の運河——荒々しい筆致のなかに、静かな叙情がにじむ。
1989年に帰国。1994年、女性の洋画家として初めて文化功労者に選ばれた。故郷の一宮市にある三岸節子記念美術館が、いまもその花々を掲げている。
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