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様式

アール・ヌーヴォー

あーるぬーゔぉー

アール・ヌーヴォー(あーるぬーゔぉー)は、19世紀末から20世紀初めにかけて欧米に広がった装飾芸術と建築の様式で、アール・ヌーボーとも書く。フランス語で「新しい芸術」を意味し、名は美術商サミュエル・ビングが1895年にパリで開いた店の名に由来する。ドイツではユーゲントシュティール、オーストリアではゼツェッシオン(分離派)、イタリアではスティレ・リバティなどと呼ばれた。植物の茎やつるを思わせるしなやかな曲線を多く使うのが特徴で、浮世絵などの日本美術からも影響を受けた。建築から家具、ガラス器、宝飾品、ポスターに及び、ギマールのパリの地下鉄の入口、ガレのガラス器、ミュシャのポスターがよく知られる。1900年のパリ万国博覧会で最盛期を迎え、1910年を過ぎると古くさいとされて、アール・デコなどに取って代わられた。日本にもこの博覧会をきっかけに伝わり、雑誌『明星』の表紙や本の装丁に取り入れられた。

出典: コトバンク「アールヌーボー」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典(海野弘)・百科事典マイペディア・日本大百科全書(高見堅志郎)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-22 取得) https://kotobank.jp/word/あーるぬーぼー-3142706、Encyclopaedia Britannica「Art Nouveau」(2026-10-22 取得) https://www.britannica.com/art/Art-Nouveau、テート「Art nouveau」(Art Terms、2026-10-22 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/a/art-nouveau、国立新美術館 アートコモンズ「日本のアール・ヌーヴォー 1900‐1923:工芸とデザインの新時代」(東京国立近代美術館工芸館、2005年の展覧会の概要、2026-10-22 取得) https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/8601

年表・沿革

  1. 1883

    • イギリスのデザイナー、アーサー・マクマードが《レンの市教会》の扉ページをデザインした。つる草のような曲線で、アール・ヌーヴォーの起源をなす作品の一つとされる。
  2. 1893

    • イギリスで美術雑誌『ステューディオ』が創刊され、オーブリー・ビアズリーの挿絵《サロメ》を紹介した。
    • ヴィクトール・オルタがブリュッセルのタッセル邸で、鉄骨の柱と、「オルタ・ライン」と呼ばれる優雅な曲線の鉄細工やステンドグラスで壁と天井をおおい、建築で最初のアール・ヌーヴォーの作品とされた。
  3. 1894

    • アルフォンス・ミュシャがこの年の暮れ、女優サラ・ベルナールの《ジスモンダ》のポスターを描いて、一躍名を上げた。
  4. 1895

    • 美術商サミュエル・ビングがパリに店「アール・ヌーヴォー」を開いた。店はベルギーのアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが装飾し、その名がのちに様式の名になった。
  5. 1896

    • ミュンヘンで雑誌『ユーゲント』が創刊され、ドイツでの呼び名「ユーゲントシュティール」のもとになった。
  6. 1897

    • ウィーンでグスタフ・クリムトを中心にウィーン分離派(ゼツェッシオン)が結成され、オーストリアのユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)の中心となった。
  7. 1900

    • パリ万国博覧会で、ビングが工芸家と組んで六つの部屋を出して大成功を収め、「アール・ヌーヴォー」の名が様式の名として定着した。アール・ヌーヴォーはこの博覧会で絶頂期を迎えたとされる。
    • パリの地下鉄が開通し、エクトール・ギマールがデザインした、植物の曲線を鋳鉄で表した駅の入口が市内の百数十か所に設けられた。
    • 雑誌『明星』が発刊され、一条成美や藤島武二らがアール・ヌーヴォーの様式で表紙や挿絵を描いた。
  8. 1901

    • ナンシーで、エミール・ガレを会長にナンシー派が会として設立され、アール・ヌーヴォーの一拠点となった。
  9. 1902

    • トリノで国際装飾展が開かれ、チャールズ・レニー・マッキントッシュが出品して高い評価を得た。
  10. 1905

    • 橋口五葉が夏目漱石の『吾輩は猫である』を装丁した。五葉はこの本をはじめとする文学書のアール・ヌーヴォー風の装丁で名を上げた。
  11. 1906

    • バルセロナで、アントニ・ガウディが設計した集合住宅カサ・ミラの建設が始まり、1910年に完成した。
  12. 1959

    • ニューヨーク近代美術館で大きな展覧会が開かれた。1910年を過ぎて古くさいとされていたアール・ヌーヴォーは、翌年のパリの国立近代美術館の展覧会などとともに見直されていった。

関連人物

  • デザイナー
    アーサー・マクマード 1883〜

    イギリスのデザイナー(1851〜1942年)。デザインした《レンの市教会》(1883年)の扉ページは、つる草のような曲線でアール・ヌーヴォーの起源をなす作品の一つとされる。1884年に雑誌『ホビー・ホース』を発刊した。

  • 日本画家
    高島北海 1884〜

    長門(山口県)出身の日本画家で、農商務省山林局の技師(1850〜1931年)。1884年からフランスのナンシーの森林高等学校で学び、エミール・ガレと親しく交わった。留学中に描いた精緻な植物の絵が、ガレなどアール・ヌーヴォーに影響を与えたといわれる。

  • 建築家
    ヴィクトール・オルタ 1893〜

    ベルギーの建築家・工芸家(1861〜1947年)。ブリュッセルのタッセル邸(1893年)で「オルタ・ライン」と呼ばれる曲線の鉄細工を使い、建築で最初のアール・ヌーヴォーの作品とされた。ソルベー邸を含むブリュッセルの4軒の邸宅は、2000年に世界遺産に登録された。

  • 美術商
    サミュエル・ビング 1895〜

    ドイツ出身の美術商(1838〜1905年)。1895年にパリで東洋の工芸品や新しいデザインの品を売る店「アール・ヌーヴォー」を開き、その名が様式の名になった。開店前には月刊誌『芸術的日本』を刊行し、1900年のパリ万国博覧会では工芸家と組んで六つの部屋を出した。ジークフリート・ビングとも呼ばれる。

  • 挿絵画家
    一条成美 1900〜

    明治時代の挿絵画家(1877〜1910年)。独学で絵を学び、1900年から雑誌『明星』『新声』などに表紙や挿絵を描いて評判となった。『明星』では藤島武二らとともに、アール・ヌーヴォーの様式で表紙や挿絵を描いたとされる。

  • 建築家・デザイナー
    アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ

    ベルギー出身の建築家・デザイナー。ブリュッセルの自邸で家具や食器まで有機的な曲線でデザインしてビングの目にとまり、パリのビングの店を装飾した。のちドイツに移り、1906年にワイマールに工芸学校を設立した。著書でアール・ヌーヴォーの理論家としても知られる。

  • 家具作家
    ルイ・マジョレル

    フランスのアール・ヌーヴォー様式を代表する家具作家で、ナンシー派の主要作家の一人。ナンシーの家具師の子で、エミール・ガレの家具に刺激を受け、1900年には本格的に新しい様式の家具づくりに転じた。

  • 建築家
    ルイス・サリヴァン

    アメリカのシカゴ派の建築家(1856〜1924年)。ギャランティ・ビル(1894〜95年)の下の2層をアール・ヌーヴォーの鋳鉄の装飾で飾るなど、植物のような鉄細工で建物を飾った。

  • 図案家
    杉浦非水

    日本のグラフィック・デザインを切り開いた図案家(1876〜1965年)。黒田清輝がパリ万国博覧会からもたらしたアール・ヌーヴォーに刺激されて図案の研究を志し、ヨーロッパで流行していたアール・ヌーヴォー様式のデザインを日本風にアレンジした作品を手がけた。三越の図案部でポスターなどを作った。

  • フランスのアール・ヌーヴォーを代表する建築家。オルタの仕事に衝撃を受けて集合住宅カステル・ベランジェでこの様式に踏み切り、1900年に開通したパリの地下鉄の出入口をデザインした。

  • ナンシーのガラス工芸家・家具作家で、アール・ヌーヴォーを代表する一人とされる。1901年にナンシー派を設立して会長となり、アール・ヌーヴォーの一拠点を打ち立てた。

  • アメリカのアール・ヌーヴォーのガラス工芸家・デザイナーで、虹色の光沢のある「ファブリル・グラス」の花器やランプシェードで知られる。

  • バルセロナの建築家で、スペインのアール・ヌーヴォー(モデルニスモ)建築の代表者とされ、ブリタニカはこの運動で最も独創的な作家とする。世界大百科事典は、アール・ヌーヴォーの先駆けとしての位置も、再評価される点の一つに挙げる。

  • ワイルドの『サロメ』(1894年)などの挿絵が、アール・ヌーヴォーの挿絵芸術の頂点とされるイギリスの挿絵画家。当時のアール・ヌーヴォーに大きな影響を与えた画家ともされ、ブリタニカは、その唯美主義をイギリスでこの様式のすぐ前にあったものとする。

  • 初期の陶芸は、当時ヨーロッパで流行していたアール・ヌーヴォーの様式をいち早く取り入れ、新しい意匠を生んだとされる。

  • 1897年にウィーン分離派を結成し、オーストリアのユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)の中心となった画家とされる。

  • 象徴主義の画家で、ミュンヘン分離派の創設者の一人。写実を基本に大胆な装飾的効果を取り入れた作品は、ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)の傾向を示すとされ、雑誌『ユーゲント』にも多くの挿絵を描いた。

  • 1893年からグラスゴーの「四人組」の一人として、アール・ヌーヴォー風の有機的なデザインを追求した建築家・デザイナー。その作風は、ウィーン分離派の展覧会や雑誌『ステューディオ』を通じて国際的な評価を得た。のちにグラスゴー美術学校の第2期(1909年)では曲線を捨て、水平・垂直の構成に移ったとされる。

  • 1901年から雑誌『明星』の表紙を担当し、表紙や挿絵をアール・ヌーヴォーの様式で描いた。同じ年の与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の表紙は、日本のアール・ヌーヴォーを代表する図案とされる。

  • 夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)をはじめとする文学書の装丁がアール・ヌーヴォー風とされ、その装丁で名を上げた。

  • 雑誌の挿絵や本の装丁でアール・ヌーヴォー様式の表現を展開し、1914年に開いた港屋でも、植物のモチーフと曲線を多く使った図案の品々を手がけた。日本大百科全書は、これに独自のアール・ヌーボー式を示したとする。

  • 動植物をモチーフにした宝飾品で、アール・ヌーヴォーの代表的作家となった。のちにガラス器に移ると、作風はアール・デコ様式に変わった(1907年から、また1910年代からとされる)。

  • 1894年の暮れに女優サラ・ベルナールのジスモンダのポスターで名を上げた。花と女性を曲線で平面的に描く「ミュシャ様式」は、アール・ヌーヴォーの典型、その代名詞とされる。

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