様式
ロココ
ろここ
ロココ(ろここ)は、18世紀、ルイ15世の時代(1715〜74年)のフランスで生まれてヨーロッパ各地に広がった、バロックと新古典主義のあいだの美術の様式。貴族の邸館のサロンの室内装飾を中心に、S字形の曲線、左右非対称の貝殻模様(ロカイユ)、明るく淡い色、中国趣味などで優美で軽やかな空間をつくり、絵画、彫刻、家具、陶磁器にまで及んだ。絵画ではヴァトー、ブーシェ、フラゴナールが代表とされ、ドイツ南部やオーストリアでは宮殿や教会の建築にも広がった。名はロカイユに由来し、もとは18世紀後半の新古典主義者が蔑みを込めて使った呼び名だった。
出典: コトバンク「ロココ」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・山川 世界史小辞典 改訂新版、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/ろここ-3220978、コトバンク「ロココ美術」(改訂新版 世界大百科事典(中山公男)・日本大百科全書(中山公男)・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/ろここ美術-3176246、コトバンク「ロカイユ」(改訂新版 世界大百科事典(中山公男)・日本大百科全書(上村清雄)、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/ろかいゆ-3176220、テート「Rococo」(Art Terms、2026-10-12 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/r/rococo、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)用語集「Rococo」(2026-10-12 取得) https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/glossary/rococo、en.wikipedia「Rococo」(2026-08-29 版、2026-10-12 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Rococo
年表・沿革
1710
- ドイツのマイセンに王立の磁器製作所が設けられ、これをきっかけにドイツやオーストリアの各地で、ロココの室内を彩る磁器が作られるようになった。
1717
- ヴァトーがアカデミー入会作品《シテール島の巡礼》を出して「雅宴画(フェート・ギャラント)」の画家として認められ、野外で語らう恋人たちを描くこの主題がロココの時代を風靡した。
1730
- このころから、ヴァトーの雅宴画やオードランの空想的な装飾が「ジャンル・ピトレスク」と呼ばれる装飾形式に発展し、メソニエやピノーらの手で、恋人たちをロカイユ装飾で囲んだ絵柄が鏡板や銀器、陶器の絵付けにまで使われた。
1734
- キュヴィリエがミュンヘン郊外のニンフェンブルク宮殿の庭園にアマリエンブルクを建て始め、1739年にドイツのロココを代表する優美な室内を仕上げた。
1745
- ポツダムのサンスーシ宮殿が、プロイセン王フリードリヒ2世のスケッチをもとにクノーベルスドルフの設計で建て始められ、1747年に完成した。
1750
- ティエポロがヴュルツブルクに招かれ、1753年までにノイマン設計の司教館の天井画と壁画を描いて、ロココの室内装飾の一つの極みを見せた。
1759
- ディドロが展覧会評『サロン』を書き始め、グルーズらの道徳的な絵を称揚する一方、ロココの趣味を退廃として攻撃した。
関連人物
- 装飾画家 クロード・オードラン3世 1708〜
17世紀末から18世紀初めに、バロックより自由で幻想的、平面的なアラベスクや中国風の模様(サンジュリー)を生み、ロココの装飾の前段階をつくった。若いヴァトーが助手として装飾画を手伝った
- 画家 ニコラ・ランクレ 1719〜
ジローのもとでヴァトーと同門に学び、ヴァトーの雅宴画(フェート・ギャラント)を受け継いで、1719年にその画家としてアカデミー会員になった
- 建築家 フランソワ・ド・キュヴィリエ 1725〜
ベルギー生まれ。1725年からバイエルンの宮廷建築家としてロココ建築を発展させ、ロココの様式を初めてドイツにもたらした。ニンフェンブルク宮殿のアマリエンブルクの優美な室内で知られる
- 装飾家・金銀細工師 ジュスト=オレール・メソニエ 1726〜
トリノ生まれ。1726年に国王の室内装飾家となり、左右非対称の大胆な装飾図案の銅版画集で、ピトレスクと呼ばれる華麗で幻想的なロココの装飾様式を広めた
- 建築家 ジェルマン・ボフラン 1735〜
フランス・ロココを代表する建築家。パリのオテル・ド・スービーズ(いまの国立公文書館)の増築部分に、1735〜40年に手がけた大公妃のサロンなど、もっとも洗練された室内を残した
- パトロン ポンパドゥール夫人 1745〜
ルイ15世の寵姫で、1745年に宮廷に入った。芸術に理解が深く、ブーシェを庇護し、王立セーヴル磁器製作所の創設を勧めた
- 批評家 ドゥニ・ディドロ 1759〜
啓蒙思想家。展覧会評『サロン』(1759〜81年)でグルーズらの道徳的な絵を称揚し、ロココの趣味を退廃として攻撃した
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1717年にアカデミー入会作品《シテール島の巡礼》で「雅宴画(フェート・ギャラント)」の画家として認められた。ロココ美術を先導し、その精神を最もよく表した画家とされる。
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ポンパドゥール夫人の庇護を受けた、ルイ15世時代を代表する画家。明るく官能的な神話画や装飾画は、ロココの一つの頂点とされる。
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ブーシェの弟子。ロココ最後の画家とされ、世紀後半に新古典主義の風潮が高まるなかで、ワトーの真の後継者となった。
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ベネチア派最後の大装飾画家で、18世紀イタリアのロココ文化を代表する。1750〜53年にヴュルツブルクの司教館に描いた天井画と壁画は、ロココの室内装飾の極みとされる。
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ロココ時代のイギリスの画家で、1735年に創立したセント・マーティンズ・レーン・アカデミーはイギリスにロココの様式をもたらすのに欠かせなかったとされ、テートはその作品をロココの力強いイギリス版とする。
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初期の作で、1740年からロンドンでグラヴロに学んだフランスのロココの様式が《アンドリューズ夫妻》(1750年ごろ)などに表れているとされる(ロココの影響として書く典拠も多い)。
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初期の作で、王立タペストリー工場のために描いた、市井のマハやマホなどを主題にした下絵がロココ風とされる。
