流派
ヴェネツィア派
ゔぇねつぃあは
ヴェネツィア派(ヴェネツィアは)は、イタリア北東部の商業都市ヴェネツィアとその周辺で生まれた美術の流派で、主に絵画を指す。素描と形を重んじたフィレンツェ派に対し、豊かな色彩と光で感覚に訴える画風で知られる。15世紀の半ば、ヴィヴァリーニ家とベッリーニ家の二つの画家一族が基礎を築き、始祖とされるヤコポ・ベッリーニの子ジェンティーレの門下からカルパッチョが、ジョヴァンニの門下からジョルジョーネやティツィアーノが出た。16世紀には、ヴェネツィアの色彩の伝統を集大成したティツィアーノに、ティントレットとヴェロネーゼが続いて黄金時代を迎えた。17世紀の停滞ののち、18世紀にはティエポロや、都市の景観を描いたカナレット、グアルディが現れ、2度目の盛期を迎えた。
出典: コトバンク「ベネチア派」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典(森田義之)・百科事典マイペディア・日本大百科全書(篠塚二三男)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-22 取得) https://kotobank.jp/word/べねちあ派-3169233、コトバンク「ヴェネツィア派」(山川 世界史小辞典 改訂新版・旺文社世界史事典 三訂版、2026-10-22 取得) https://kotobank.jp/word/ヴえねついあ派-3240174、ゲッティ研究所「Venetian School」Art & Architecture Thesaurus(AAT 300440789、Styles and Periods Facet › Italian Renaissance-Baroque styles、2026-10-22 取得) https://vocab.getty.edu/page/aat/300440789、コトバンク「ベリーニ」(デジタル大辞泉・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-22 取得) https://kotobank.jp/word/べりーに-1590695、コトバンク「ベッリーニ」(日本大百科全書(三好徹)。ジョバンニ・ジェンティーレ・ヤコポの3項、2026-10-22 取得) https://kotobank.jp/word/べつりーに-3169152、コトバンク「ティツィアーノ」(精選版 日本国語大辞典・日本大百科全書(西山重徳)・改訂新版 世界大百科事典(森田義之)・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典・山川 世界史小辞典、2026-10-22 取得) https://kotobank.jp/word/ていついあーの-3159695
年表・沿革
1443
- ベッリーニ一族とともにヴェネツィア派の基礎を築いたムラーノのヴィヴァリーニ一族のアントニオが、ジョヴァンニ・ダレマーニャとの共作で、ヴェネツィアのサン・ザッカリア聖堂の祭壇画を描いた(1443〜44年)。
1475
- シチリア出身のアントネッロ・ダ・メッシーナが翌年までヴェネツィアに滞在してサン・カッシアーノ聖堂の祭壇画を描き、フランドル由来の油彩の技法と輝く色彩で、ヴェネツィアの画家たちを瞠目させた。
1479
- ジェンティーレ・ベッリーニがヴェネツィア政府からコンスタンティノープルへ送られ、スルタンのメフメト2世の肖像を描いた。
1483
- ジョヴァンニ・ベッリーニがヴェネツィア共和国の公用画家となった。その門下からジョルジョーネやティツィアーノが育った。
1508
- ジョルジョーネが、協力者のティツィアーノとともに、ドイツ人商館フォンダコ・デイ・テデスキの外壁に壁画を描いた。
1510
- ジョルジョーネがペストで没し、未完の《眠れるヴィーナス》などをティツィアーノらが仕上げた。
1516
- ジョヴァンニ・ベッリーニが没し、ティツィアーノがその跡を継いで共和国公認の画家となり、ヴェネツィアの画壇の第一人者になった。
1518
- ティツィアーノがフラーリ聖堂の主祭壇画《聖母被昇天》を完成させ、ヴェネツィアの祭壇画を一変させた。
1548
- ティントレットがサン・マルコ同信会館のために《聖マルコの奇跡》を描き、自分の様式と名声を確立した。
1573
- ヴェロネーゼが、宗教的な主題をあまりに世俗的に描いた《レヴィ家の饗宴》をめぐって、宗教裁判所に喚問された。
1576
- ティツィアーノがペストで没し、フラーリ聖堂に葬られた。
1594
- ティントレットが没した。ベッリーニ以来のルネサンス期ヴェネツィア絵画の黄金時代は、彼をもって幕を閉じたとされる。
1746
- ヴェネツィアの景観画で名高いカナレットがイギリスへ渡り、1756年までに3回にわたって訪れた。その景観画は、とりわけイギリス人に愛好された。
1755
- ティエポロが、ヴェネツィアのアカデミアの初代会長に選ばれた。
1797
- ナポレオンの占領で、ヴェネツィア派を育んだヴェネツィア共和国の1000年以上にわたる歴史が幕を閉じた。
関連人物
- 始祖 ヤコポ・ベッリーニ
ベッリーニ一族の長。ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノに学び、ヴェネツィアに根づいたビザンティン様式と国際ゴシック様式の融合をはかって、色彩を重んじる画風の基礎を築いた。遠近法を研究した2冊の素描帖(ルーヴル美術館・大英博物館)で知られる
- ヤコポの長男 ジェンティーレ・ベッリーニ
共和国の公用画家として総督の肖像を描き、1479年にはコンスタンティノープルに送られてメフメト2世の肖像を描いた。一族の工房を率い、ヴェネツィアの街並みを忠実に描いた絵は、カルパッチョからカナレットに至る街景画(ヴェドゥータ)の先駆けとされる
- ヤコポの次男 ジョヴァンニ・ベッリーニ
1483年から共和国の公用画家。アントネッロ・ダ・メッシーナの油彩画法を取り入れ、明るく豊かな色彩と光の画風で15世紀のヴェネツィア派を決定づけた。その工房は当時ヴェネツィアで最も重要な工房で、門下からジョルジョーネ、ティツィアーノ、セバスティアーノ・デル・ピオンボらが出た
- ムラーノのヴィヴァリーニ一族 アントニオ・ヴィヴァリーニ
ベッリーニ一族とともにヴェネツィア派の基礎を築いた画家一族の人。ジョヴァンニ・ダレマーニャと、のちに弟のバルトロメオと共作した。息子のアルヴィーゼはジョヴァンニ・ベッリーニの画風を取り入れた
- 画家 ヴィットーレ・カルパッチョ
ジェンティーレ・ベッリーニに学んだとされる(ナショナル・ギャラリーはラッザロ・バスティアーニに学んだとみる)。同信会のための連作《聖ウルスラ伝》(1490〜95年)に、ヴェネツィアの街並みと風俗を描き込んだ
- シチリア出身の画家 アントネッロ・ダ・メッシーナ
1475〜76年にヴェネツィアに滞在してサン・カッシアーノ聖堂の祭壇画を描き、フランドル由来の油彩の技法と精緻な写実で、ヴェネツィア派に大きな影響を与えた
- 画家 セバスティアーノ・デル・ピオンボ
ジョヴァンニ・ベッリーニのもとで画業を始め(ナショナル・ギャラリーはジョルジョーネに学んだとみる)、ジョルジョーネに深く傾倒した。1511年にローマへ移り、ミケランジェロやラファエロらにヴェネツィア派の色彩効果を知らせたとされる
- 画家 パルマ・イル・ヴェッキオ
ベルガモ地方の出。ジョルジョーネとティツィアーノの画風を取り入れた優美な作風で、盛期ルネサンスのヴェネツィア派を代表する画家の一人とされる。風景の中に置いた横長の《聖会話》と、美しい女性の半身像で知られる
- 画家 ロレンツォ・ロット
ヴェネツィアで修業し、初期の作はジョヴァンニ・ベッリーニの影響が強い。ティツィアーノと競えず、多くをヴェネツィアの外(トレヴィーゾ、マルケ、ベルガモ)で過ごして、肖像画と宗教画を描いた
- 画家 ヤコポ・バッサーノ
ヴェネト地方のバッサーノの画家一族で最も名高い。ティツィアーノとロットに根ざした素朴で写実的な画風を築き、イタリアの夜景の先駆けとなった。息子たちとともにヴェネツィア派の画家に数えられる
- 景観画家 カナレット
本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナル。1720年ころからヴェネツィアの都市景観図(ヴェドゥータ)を描いて成功し、とりわけイギリス人に愛好されて、1746〜56年に3回イギリスを訪れた。甥のベルナルド・ベロットも景観画家
- 景観画家 フランチェスコ・グアルディ
カナレットと並び称される18世紀ヴェネツィアの代表的な風景画家。兄ジョヴァンニ・アントニオの協力者として前半生を過ごし、兄の死後は都市景観図を主に描いて、街景画を詩的な幻想に転じた。姉妹がティエポロと結婚した
- ゴシック期の画家 パオロ・ヴェネツィアーノ
改訂新版 世界大百科事典は、形より色彩と光を重んじるヴェネツィア派の伝統が、ゴシックのパオロ・ヴェネツィアーノからロココのティエポロまで一貫するとする
-
ジョヴァンニ・ベッリーニの工房で学んだ弟子で、ヴェネツィアにおける盛期ルネサンス様式の創始者とされる、ヴェネツィア派の代表的な画家。
-
ベッリーニ兄弟の工房に学び、ジョルジョーネの協力者を経て、師ジョヴァンニ・ベッリーニの跡を継いで共和国公認の画家となった。16世紀ヴェネツィア派最大の巨匠で、その色彩の伝統の集大成者とされる。
-
ヴェローナでアントニオ・バディーレに学び、ヴェネツィアに移ってからティツィアーノの知遇を得た。ティツィアーノ、ティントレットと並んで典型的なヴェネツィア派の絵画を確立し、ヴェネツィア派の最後を飾ったとされる。
-
若いころティツィアーノの工房に短いあいだ入り、ヴェロネーゼと並んで16世紀後半のヴェネツィア派を代表した巨匠。ヴェネツィア伝統の色彩とマニエリスムの形式を融合し、マニエリスムの画家とも呼ばれる。
-
ヴェネツィアでラッザリーニに学び、なによりヴェロネーゼに負った。18世紀最大のフレスコ画家として、ヴェネツィア派の最後を飾る大装飾画家とされ、1755年にヴェネツィアのアカデミアの初代会長となった。
