様式
マニエリスム
まにえりすむ
マニエリスム(まにえりすむ)は、盛期ルネサンスとバロックのあいだ、1520年ごろから16世紀末にかけてイタリアを中心に広まった美術の様式。名はイタリア語で「手法・様式」を意味する「マニエラ」に由来し、ミケランジェロら巨匠の手法を出発点に、引き伸ばした人体やねじれたポーズ(蛇状姿態)、ゆがんだ遠近法、現実離れした色彩で技巧と主観を強めた。ポントルモやパルミジャニーノらに始まり、宮廷を通じてフランスのフォンテーヌブローやプラハにまで広がり、末期にはティントレットやエル・グレコが現れた。長く巨匠を模倣した退廃の様式とされたが、20世紀に独自の様式として見直された。
出典: コトバンク「マニエリスム」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典(若桑みどり)・百科事典マイペディア・日本大百科全書(上平貢)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/まにえりすむ-3171430、Encyclopaedia Britannica「Mannerism」(2026-10-12 取得) https://www.britannica.com/art/Mannerism、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)「Mannerist」(Glossary、2026-10-12 取得) https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/glossary/mannerist、en.wikipedia「Mannerism」(2026-09-12 版、2026-10-12 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Mannerism
年表・沿革
1518
- ポントルモがフィレンツェのサン・ミケーレ・ヴィスドミーニ聖堂の祭壇画で古典様式の殻を破り、これが初期マニエリスムの代表作の一つとされる。
1527
- ローマの略奪で、ローマにいた初期マニエリスムの画家たちが各地に散り、マニエリスムは第2期に入った。
1530
- フランス王フランソワ1世がロッソ・フィオレンティーノをフォンテーヌブロー宮殿に招き、イタリアのマニエリスムがフランスに移された。
1541
- ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の《最後の審判》を完成させ、この作はローマの反宗教改革期の危機意識を表すマニエリスムの代表とされる。
1545
- トリエント公会議が開かれ(1563年まで)、その間ローマのマニエリスムは制約を受けて、アカデミックで宗教的な色を帯びた。
1550
- ヴァザーリが『美術家列伝』で、巨匠のマニエラ(手法)を知ることで自然を超えた優美に達すると述べ、マニエラに独自の価値を与えた。
1562
- アルチンボルドがハプスブルク家のフェルディナント1世に招かれ、1587年まで3代の皇帝の宮廷画家を務めた。
関連人物
- 画家 ヤコポ・ダ・ポントルモ 1518〜
フィレンツェ派マニエリスムの第一世代を代表する画家。1518年の祭壇画で古典様式を破り、サンタ・フェリチタ聖堂の装飾(1525〜28年)で円熟したマニエリスムの画風を確立した。
- 画家・著述家 ジョルジョ・ヴァザーリ 1550〜
ミケランジェロとラファエロを折衷した技巧的なマニエリストの画家。『美術家列伝』(1550年)で、マニエラ(手法)に、自然を超えた優美をもたらすものという独自の価値を与えた。
- 神聖ローマ皇帝 ルドルフ2世 1576〜
在位1576〜1612年。学芸を保護し、プラハの宮廷でスプランヘルやアルチンボルドらを用いて、北方のマニエリスムの重要な中心の一つにした。
- 画家 ロッソ・フィオレンティーノ
ポントルモとともにアンドレア・デル・サルトの工房で学んだ、初期マニエリスムの画家。フランス王フランソワ1世に招かれてフォンテーヌブロー宮殿を飾り、イタリアのマニエリスムをフランスに伝えた。
- 画家 パルミジャニーノ
マニエリスムの第一世代のうち際立った画家。《長い首の聖母》(1534年)で長く引き伸ばした人体と〈蛇状人体〉による洗練の極みを示し、優美様式の代表者としてヴァザーリに絶賛された。
- 画家 アーニョロ・ブロンツィーノ
ポントルモに学び、メディチ家のコジモ1世の宮廷画家として、宮廷的マニエリスムの洗練の極みを示した。
- 美術史家 マックス・ドボルジャーク
チェコ出身のオーストリアの美術史家。グレコやブリューゲルの芸術に関連してマニエリスム研究の先鞭をつけ、ルネサンスとバロックのあいだに独自の様式の時代を認めた一人。
- 美術史家 ヴァルター・フリートレンダー
ドイツの美術史家。マニエリスムを根本的に反古典主義的なものと定義し、ルネサンスとバロックのあいだに独自の様式の時代を認めた一人。
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ベネチア派の画家。ミケランジェロやマニエリストたちの感化を受けてマニエリスムの形式と構図をベネチアの色彩に融合し、光と闇、強い色彩、意表をつく角度で主観的表現の深みに達して、末期マニエリスムの巨匠とされる。
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ハプスブルク家の宮廷画家として、花や果実、動物などを寄せ集めた人物像を描き、その作はマニエリスム的な奇想の典型とされる。
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壮年期から晩年の作は、最後の審判(1536〜41年)をはじめ、マニエリスムを形づくったとされる。
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ベネチアとローマで学び、トレドに住んだ。色調と技法は終生ベネチア派とイタリア・マニエリスムにとどまったとされ、ティントレットとともに末期マニエリスムの二大巨匠に数えられる。
