
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
ティツィアーノ・ヴェチェッリオは自画像に、筆と騎士の鎖を描いた。絵の腕で皇帝から貴族の身分を授かり、ウルビーノのヴィーナスなどを豊かな色彩で描いた、16世紀ヴェネツィア派最大の画家とされる。
アルプスの麓、ピエーヴェ・ディ・カドーレに生まれた。生年は1488〜1490年ごろとみる説が有力だ。少年時代にヴェネツィアへ渡り、画家ジョヴァンニ・ベッリーニらに学んだと伝わる。修業の順序には諸説がある。
1508年にはジョルジョーネとともに、ドイツ人商館の外壁に壁画を描いた。1510年にジョルジョーネがペストで没すると、残された作品を仕上げたとされる。
聖愛と俗愛は、ヴェネツィアの役人の結婚に際して注文されたとみられる。1518年5月、町でいちばん大きな祭壇画《聖母被昇天》がフラーリ聖堂で公開された。友人ドルチェによれば、初めは画家や民衆にけなされたという。やがてヴェネツィア画壇の第一人者になった。
バッカスとアリアドネはフェラーラ公の部屋を飾る連作の一つで、公がラファエロに頼んでいた絵の代わりに描かれた。古代ローマの詩をもとに、酒の神バッカスが王女アリアドネに一目で恋する場面を描く。
1533年、神聖ローマ皇帝カール5世から宮廷伯と金拍車の騎士に叙された。皇帝が画家の落とした筆を拾って手渡したという逸話も伝わる。
1545〜1546年にはローマに招かれた。画家の伝記を書いたヴァザーリによれば、ミケランジェロ・ブオナローティはその絵の色づかいを大いにほめつつ、ヴェネツィアでは初めに素描を学ばないのが残念だと語ったという。
1548年には、前年のミュールベルクの戦いに勝った皇帝をカール5世騎馬像に描いた。皇帝の子、スペイン王フェリペ2世のためには神話画の連作を描き、自ら「ポエジア(詩)」と呼んだ。
晩年には、ときに指で色を置くこともあった。1566年に画家を訪ねたヴァザーリは、大きな筆の一撃と色の斑点で描かれた晩年の絵が、近くではまとまらず、離れると見事な姿を結ぶと記した。
1576年8月27日、ペストが流行するヴェネツィアで没し、フラーリ聖堂に葬られた。ティントレットは部屋の壁に「ミケランジェロの素描とティツィアーノの色」と書いたと伝えられる。のちのピーテル・パウル・ルーベンスやディエゴ・ベラスケスにも影響を与えた。
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