
ピーテル・パウル・ルーベンス
工房の大きな扉を開けると、何十人もの弟子や協力画家が同時に何枚もの大画面を仕上げている――ルーベンスの仕事場はそういう場所だった。ドイツのジーゲンに生まれ、幼くしてアントワープに戻ると、オットー・ファン・フェーンらのもとで絵を学ぶ。二十三歳でイタリアに渡り、マントヴァ公の宮廷画家として仕えながらティツィアーノやミケランジェロ、そしてローマで出会ったカラヴァッジョの劇的な明暗を貪欲に吸収した。八年間のイタリア滞在で身につけた画面構成の呼吸と色彩感覚は、帰郷後のフランドルの伝統と混ざり合い、誰も見たことのない豊満で躍動的な様式に結晶する。
1608年にアントワープへ戻ると、その筆致はまたたく間に評判を呼び、大聖堂のキリスト昇架キリスト降架で一気に地位を確立した。ねじれる肉体、渦を巻く布のひだ、明暗の劇的な対比――静止画のはずなのに画面全体が今にも動き出しそうな緊張感をたたえている。工房は絵画製作所と呼べるほどの規模に膨れ上がり、アンソニー・ヴァン・ダイクやヤーコブ・ヨルダーンスといった後の巨匠たちがここで腕を磨いた。フランス王妃マリー・ド・メディシスの依頼による全24点の生涯連作は、寓意と歴史画を大胆に融合させた仕事として名高い。
画家としてだけでなく、ルーベンスは複数の言語を操る有能な外交官でもあった。スペインとイギリスの間を行き来して和平交渉に携わり、その功績でどちらの王からも騎士に叙せられている。晩年、二番目の妻エレーヌ・フールマンを得てからは、毛皮を着たエレーヌ・フールマンのような親密で官能的な肖像も多く手がけた。豊かな量感を持つ女性像は後に「ルーベンス風」と形容され、バロック絵画の一つの理想像として長くヨーロッパの画家たちに影響を与え続けた。
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