版元
渡辺版画店
わたなべはんがてん
- シリーズ
- 旅みやげ第一集(16図)
渡辺版画店(わたなべはんがてん)は、渡辺庄三郎が1909年(明治42年)に東京の京橋で開いた版画店で、新版画の版元。浮世絵と同じ絵師・彫師・摺師の分業を守り、同時代の画家の絵を木版画にした。1915年(大正4年)にフリッツ・カペラリの絵から始め、橋口五葉・伊東深水・川瀬巴水・吉田博・小原古邨らの作品を出し、多くはアメリカやヨーロッパへ輸出された。1923年の関東大震災で店と版木の大半を失ったが、再建し、1943年に株式会社渡辺木版美術画舗と改めて、今の渡邊木版美術画舗につながる。
出典: コトバンク「渡辺庄三郎」(20世紀日本人名事典・デジタル版 日本人名大辞典+Plus、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/渡辺庄三郎-1121821、ja.wikipedia「渡辺庄三郎」(2025-10-29 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/渡辺庄三郎、西山純子「「新版画」とは何か。国内有数のコレクションを持つ千葉市美術館の学芸員・西山純子に聞く」(美術手帖、2022年10月29日、2026-10-11 取得) https://bijutsutecho.com/magazine/insight/26219、国立新美術館アートコモンズ「THE 新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」茅ヶ崎市美術館 会場(2022年9〜11月)の展覧会概要(2026-10-11 取得) https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/71724、ja.wikipedia「小原古邨」(2026-06-22 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/小原古邨、en.wikipedia "Shōzaburō Watanabe"(2025-11-19 版、2026-10-11 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Shōzaburō_Watanabe
年表・沿革
1909
- 3月25日、京橋五郎兵衛町で「渡辺版画店」の看板を掲げた。
1915
- フリッツ・カペラリの絵を木版画にして、新版画を始めた。翌年にかけて、橋口五葉《浴場の女》、伊東深水《対鏡》、名取春仙・山村耕花の役者絵を出した。
1918
- 川瀬巴水が「塩原おかね路」など3点で加わった。1920年には吉田博が「明治神宮の神苑」を出した。
1921
- 6月、日本橋の白木屋で「新作板画展覧会」を開き、11人の作家の150点を並べた。
1923
- 9月1日の関東大震災で京橋の店が全焼し、版木と作品の大半を失った。高橋松亭作品の再版から版元業を再開して、店を再建した。
1926
- このころから小原古邨が「祥邨」の名で、花鳥画を約100点出した。
1943
- 12月、株式会社渡辺木版美術画舗に社名を改めた。
1962
- 庄三郎が没した。新版画の制作は、一つの時代を終えた。
関連人物
- 創業者・店主 渡辺庄三郎 1909〜
1885〜1962年。旧字体は渡邊庄三郎。小林文七の輸出店で働いて古版画を学び、1906年に尚美堂を、1909年に渡辺版画店を開いた
- 最初に組んだ絵師 高橋松亭
日本の風景を描いた大短冊判の新作を渡辺と出し、軽井沢の外国人向けの店で売って好評を得た。震災後の再開は、松亭作品の再版から始まった
- 彫師 近松於菟寿
渡辺が短冊形の木版画を作ったとき、彫師に採用された
- 摺師 斧由太郎
渡辺が短冊形の木版画を作ったとき、摺師に採用された
- 川瀬巴水 作品 186 点
- 小原古邨 作品 51 点
- 伊東深水 作品 33 点
- 名取春仙 作品 15 点
- チャールズ・バートレット 作品 10 点
- 高橋松亭(弘明) 作品 5 点
- 笠松紫浪 作品 4 点
- 楢崎栄昭 作品 3 点
- 山中古洞 作品 3 点
- 織田一磨 作品 3 点
- 吉田博 作品 1 点
- 山川秀峰 作品 1 点
- 橋口五葉 作品 1 点
- フリッツ・カペラリ 作品 1 点
























