様式
バロック
ばろっく
バロック(ばろっく)は、16世紀末から17世紀初めにかけてイタリアのローマで生まれ、17世紀を中心に18世紀前半までヨーロッパ各地に広がった美術・建築の様式。均整と調和を重んじたルネサンスに対し、劇的な動き、光と影の強い対比、曲線と豊かな装飾で見る人の感情にじかに訴え、カトリックの反宗教改革と絶対王政を背景に栄えた。絵画ではカラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケス、レンブラント、彫刻と建築ではベルニーニが代表とされる。名は「ゆがんだ真珠」を意味するポルトガル語に由来するといわれ、もとは古典の規範を外れた芸術への蔑称だったが、19世紀後半からヴェルフリンらが一つの様式として評価し直した。
出典: コトバンク「バロック」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・百科事典マイペディア・改訂新版 世界大百科事典(中村雄二郎)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典・山川 世界史小辞典 改訂新版、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/ばろつく-3185128、コトバンク「バロック美術」(改訂新版 世界大百科事典(若桑みどり)・日本大百科全書(野村太郎)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/ばろつく美術-3164470、テート「Baroque」(Art Terms、2026-10-12 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/b/baroque、ja.wikipedia「バロック」(2026-05-10 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/バロック
年表・沿革
1563
- トリエント公会議が閉じたあと、カトリック教会は、プロテスタントが退けた聖像を逆に布教の武器とする新しい図像のプログラムに乗り出し、バロック美術はこのあとに生まれた世代が形づくった。
1599
- カラヴァッジョが1602年にかけてローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂に聖マタイの連作を描き、強烈な明暗と迫真の写実でバロック絵画を開花させた。
1622
- ルーベンスがパリのリュクサンブール宮殿のためにマリー・ド・メディシスの生涯の連作に取りかかり、1625年までに、君主の称揚と装飾性を結んだきわめてバロック的な大画面を描き上げた。
1624
- ベルニーニが教皇ウルバヌス8世のもとでサン・ピエトロ大聖堂のバルダッキーノ(大天蓋)を作り始め、1633年に仕上げた。
1642
- レンブラントが《夜警》を完成し、光を集めて群像を明暗の深い奥行のなかに組み立てる、バロックらしいドラマの構成を極めた。
1656
- フェリペ4世の宮廷画家ベラスケスが、晩年の群像画の傑作《ラス・メニーナス》(宮廷の侍女たち)を描いた。
1788
- 批評家カトルメール・ド・カンシーが『建築歴史辞典』でバロックを「ビザール(奇妙なもの)の一種」と定義し、この語は古典の規範を外れた17世紀の芸術への蔑称として使われた。
1888
- スイスの美術史家ヴェルフリンが『ルネサンスとバロック』を出し、バロックをルネサンスと対をなす一つの様式として論じて、その再評価の道を開いた。
関連人物
- 画家 アンニーバレ・カラッチ 1595〜
ボローニャの画家一族カラッチのなかで最も傑出し、イタリア・バロック絵画の開拓者の一人とされる。1595年にローマに招かれて描いたファルネーゼ宮の天井画は、バロックの装飾画の最初の例とされる
- ローマ教皇・パトロン ウルバヌス8世 1623〜
フィレンツェのバルベリーニ家の出身で、在位は1623〜44年。学芸と美術に通じ、ベルニーニを重用した。そのローマ改造計画は、ベルニーニの演劇的な空間とともにバロックの都市を実現させた
- 彫刻家・建築家 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ 1624〜
教皇ウルバヌス8世のもとでサン・ピエトロ大聖堂のバルダッキーノを作り、《聖テレサの法悦》などで盛期バロックの彫刻と建築を代表した
- 画家・建築家 ピエトロ・ダ・コルトーナ 1633〜
ベルニーニ、ボッロミーニとともに盛期バロックを代表する。パラッツォ・バルベリーニ大広間の天井画《神意の勝利》(1633〜39年)は、イリュージョンを生かしたバロックの天井画の手本になった
- 建築家 フランチェスコ・ボッロミーニ 1634〜
ベルニーニと並ぶ盛期バロックの建築家。1634年からサン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネ聖堂を手がけ、波打つ壁面と楕円のドームで、アルプスの北にも大きな影響を与えるバロックの新しい形を生んだ
- 美術史家 ハインリヒ・ヴェルフリン 1888〜
スイスの美術史家。『ルネサンスとバロック』(1888年)と『美術史の基礎概念』(1915年)で、ルネサンスとバロックを「線的」と「絵画的」などの対概念で比べ、バロックの再評価を進めた
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イタリアに学ばなかったが、ルーベンスらの国際的なバロックの流れに敏感に応えた。1642年の夜警で、光を集めて群像を明暗の奥行に組み立てるバロックのドラマを極めた。
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1599〜1602年にローマのコンタレッリ礼拝堂に描いた聖マタイの連作などで、強い明暗と迫真の写実による初期バロックの様式を確立した。その画法はアルプスの北にも広まり、バロックが国際的に広がる糸口になった。
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1600年から8年間イタリアで学び、マリー・ド・メディシスの生涯の連作(1622〜25年)などで、フランドルのバロックを代表する画家となった。
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カラヴァッジョ風の明暗法と写実から出発し、フェリペ4世の宮廷画家としてラス・メニーナス(1656年)などを描いて、スペイン・バロックを代表する画家となった。
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ルーベンスの工房から出て、師の手法をイタリアとイギリスに伝えた。1632年からチャールズ1世の宮廷画家となり、イギリスでもバロックの様式で描いた。
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セビーリャを中心に修道院のための宗教画の連作を数多く描いてスペイン・バロック絵画に独特の分野を築き、「スペインのカラヴァッジョ」と呼ばれた。
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カラヴァッジョの影響を発展させた、ろうそくの光による強い明暗の宗教画と風俗画で知られ、フランスの〈プロト・バロック〉を代表する画家の一人とされる。
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オランダ黄金時代を代表する肖像画家で、その時代のオランダ絵画はバロックの時代に含まれるが、バロックに典型的な理想化や華麗さは欠くとされる。
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オランダの室内画の巨匠で、バロック絵画を代表する一人とされるが、オランダの画家にはバロックの呼び名をあまり使わないとする典拠もある。
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ライデン生まれで、17世紀のバロック期に活躍したオランダ黄金時代の画家とされる。
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バロック時代のフランスの画家だが、作品はバロック的な激しい感情や劇的な明暗を抑えた古典主義のもので、フランスの美術史家はこれをバロックと呼ぶことを好まないとされる。
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プッサンと同時代にローマで活躍し、古典主義の風景画を完成したバロック・フランス古典主義の画家とされる。
