
クロード・ロラン
クロード・ロランは、17世紀のローマで活躍したフランスの風景画家である。海に照りはえる太陽と広い空を描き、教皇やスペイン王もその絵を求めた。画家の家で馬の世話をしていた少年が、そこまで名を上げたと伝わる。
本名はクロード・ジュレ。1600年ごろ、ロレーヌ地方の村シャマーニュの農家に生まれた。12歳で両親を亡くし、ドイツで木彫家をしていた長兄のもとに身を寄せる。葉飾りや唐草の模様を1年ほど描いて練習し、その後、親類に連れられてローマへ渡ったという。
ローマでは風景画家アゴスティーノ・タッシの家に住み込み、馬の世話や台所仕事をしながら絵具を摺ったという。菓子職人の見習いだったとも伝わる。さらにナポリでも風景画を学び、その港の美しさに強く心を打たれた。
港と太陽は、やがてロランの絵を代表する組み合わせになった。港、聖ウルスラの乗船クレオパトラの上陸シバの女王の乗船はいずれも船出か上陸を描き、低い空に太陽を置く。
一方、聖書や神話の人物は広い風景の中に小さく描かれる。ロランは風景には代金をもらうが、人物はただで付ける、と冗談を言ったともいう。シバの女王の乗船では、石段のかすかな書き込みだけが、誰の旅かを明かしている。
名が上がると、偽物も現れた。ある画家がロランの絵を8日で写し、人前に出すと、人々はロランのいちばん美しい作だと褒めた。本人は激しく怒ったという。
ロランは仕上げた油絵を一枚ずつ素描に写し、「真実の書」に残した。1663年には自ら157点と数えている。今では、どの絵が本物かを見分ける手がかりになっている。
生涯のほとんどをローマで過ごし、1682年にその地で世を去った。そのあとも、ロランの風景は人々の眺め方を変えた。18世紀のイギリスでは、造園家がロランらの絵を庭づくりの手本にした。旅人は黒い箔を裏に張った小さな凸面鏡「クロード・グラス」に景色を映し、絵のようにまとまった眺めを楽しんだ。
画家ウィリアム・ターナーは自作2点をロンドンのナショナル・ギャラリーに遺す際、シバの女王の乗船とその対の絵の隣に掛けることを条件にした。
クロード・ロランの作品をお持ちですか?
Cugiraで出品してみませんか?
















