期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%
狩野常信

狩野常信

かのう つねのぶKano Tsunenobu
12 作品

狩野常信は、15歳で木挽町狩野家を継いだ江戸幕府の御用絵師である。元信・永徳・探幽とともに狩野派の「四大家」の一人とされ、古画の模写や鑑定の控えをまとめた「常信縮図」60巻が伝わる。

父の狩野尚信に絵を学び、父が慶安3年(1650年)に没した後は、伯父の狩野探幽に学んだとされる。家を継いだ同年の12月には剃髪して養朴と号し、3代将軍徳川家光にお目見えした。その後、4代将軍家綱の御用を勤めた。御所の造営のたびに障壁画を描き、江戸城本丸の障壁画制作にも加わっている。

狩野派の中で地位を築くには時間がかかった。妻は、叔父で狩野派を率いていた狩野安信の娘である。御所の仕事では、探幽・安信とつながりのある絵師狩野益信との序列が何度も入れ替わった。延宝2年(1674年)に探幽が没すると、常信が江戸の狩野派を率いる立場になった。

画風は探幽に近い。探幽の型をなぞる絵師が多いなか、常信はその意図を理解して再現できた数少ない絵師と評される。物の配置を整理し、細部を描き込むことで、探幽より明快で華やかな画面にした。延宝5年(1677年)の源氏物語図屏風は、現在、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館にある。晩年の画風は穏やかで繊細なものへと変わった。

天和2年(1682年)には、朝鮮通信使に贈る屏風2双を描いた。通信使の訳官だった洪世泰の肖像も手がけ、洪世泰はその絵を「絶代奇筆」とたたえた。

古画の研究にも取り組んだ。元禄3年(1690年)の雪舟筆 明石図模本は、雪舟等楊の絵を写した作品である。鑑定の控えのほか、手本や下絵も大量に残した。「常信縮図」は、探幽の縮図とともに古画研究の貴重な資料となっている。印章にも凝り、その数は150にのぼったという。

宝永元年(1704年)、孔子廟に七十二賢像を描いた功で法眼に叙された。5代将軍綱吉から仕事が来なくなった際、柳沢吉保がとりなしたという逸話も残る。宝永6年(1709年)には、紫宸殿の賢聖障子と江戸城修理の功で法印に進んだ。正徳元年(1711年)の朝鮮通信使には屏風3双を描き、正徳3年(1713年)に江戸で没した。78歳だった。木挽町の家は長男の狩野周信が継ぎ、次男の狩野岑信は浜町に分家して浜町狩野家を興した。

狩野常信の作品をお持ちですか?

Cugiraで出品してみませんか?

出品する
12件