流派
円山・四条派
まるやましじょうは
円山・四条派(まるやましじょうは)は、江戸時代中期の京都で円山応挙が開いた円山派と、呉春が開いた四条派をあわせた呼び名。応挙は写生にもとづく平明な画風を立て、与謝蕪村に学んだ呉春は、その写生に洒脱な趣を加えた。二派はその後の京都で主流となり、塩川文麟・幸野楳嶺らを経て、竹内栖鳳・上村松園ら近代の京都画壇の画家へと受け継がれた。
出典: コトバンク「円山四条派」(改訂新版 世界大百科事典(河野元昭)・日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典、2026-10-10 取得) https://kotobank.jp/word/円山四条派-137761、国立新美術館アートコモンズ「円山応挙から近代京都画壇へ」京都国立近代美術館 会場(2019年11〜12月)の展覧会概要(2026-10-10 取得) https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/62235、国立新美術館アートコモンズ「円山応挙から近代京都画壇へ」東京藝術大学大学美術館 会場(2019年8〜9月)の展覧会概要(2026-10-10 取得) https://www.nact.jp/artcommons/user/detail/62377
年表・沿革
1781
- 与謝蕪村に学んでいた松村月渓が摂津の池田に移り、翌年、池田の古名「呉服の里」にちなんで呉春と名を改めた。
1787
- 呉春が、円山応挙の指揮した兵庫県香住の大乗寺の障壁画制作に加わった。
1789
- 呉春が京都の四条に移り住み、応挙との交わりを深めた。
1795
- 応挙が没し、こののち呉春の四条派が円山派をしのいで栄えた。
1811
- 呉春が没し、異母弟の松村景文が四条派の中心となった。
1880
- 円山派の中島来章と四条派の塩川文麟に学んだ幸野楳嶺らが、京都府画学校を設けた。
関連人物
- 四条派の画家 松村景文
呉春の異母弟。呉春の没後、四条派の中心となった
- 四条派の画家 岡本豊彦
呉春の門人。松村景文と並ぶ四条派の代表で、門人に塩川文麟がいる
- 四条派の画家 塩川文麟
岡本豊彦の門人。幕末から明治初めの四条派の中心で、1866年に如雲社を結成した
- 四条派の祖
京都の四条東洞院に住み、門人の多くも四条の近くに住んだことから、その一派は四条派と呼ばれた(改訂新版 世界大百科事典の円山四条派の項は、住まいを四条高倉とする)。円山応挙の円山派とあわせて円山・四条派と呼ばれる。
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四条派の幸野楳嶺と、その門下の竹内栖鳳に学び、四条派の伝統を基礎に近代的な感覚を加えた画風を立てた。
