団体
第二部会
だいにぶかい
第二部会(だいにぶかい)は、1935年(昭和10年)の帝国美術院の改組(松田改組)に反対して、旧帝展第二部(洋画)の無鑑査の画家たちが結成した洋画の団体。同年10月に第1回展を開き、「反帝展」を掲げて、翌年には帝国美術院の解消を説く批判書をまとめた。1936年、平生釟三郎文相の再改組案を受けて文展への参加を決めると、反対した会員6人が脱退して新制作派協会をつくった。1937年9月、会の使命を終えたとして解散した。
出典: 東京文化財研究所 美術界年史(彙報)「第二部会解散」(1937年9月、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/2109.html、東京文化財研究所 美術界年史(彙報)「第二部会総会」(1936年3月、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/1871.html、東京文化財研究所 美術界年史(彙報)「第二部会批判書提出」(1936年5月、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/1906.html、東京文化財研究所 美術界年史(彙報)「第二部会六会員脱退」(1936年7月、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/1960.html、東京文化財研究所 美術界年史(彙報)「新制作派協会結成」(1936年7月、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/1969.html、コトバンク「官展」(改訂新版 世界大百科事典(原田実)・ブリタニカ国際大百科事典・日本大百科全書・マイペディア、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/官展-49308、東京文化財研究所 物故者記事「辻永」(『日本美術年鑑』、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9365.html、東京文化財研究所 美術界年史(彙報)「第二部会文展参加声明」(1936年6月、2026-10-11 取得) https://www.tobunken.go.jp/materials/nenshi/1950.html、日展 公式サイト「組織概要・沿革・定款等」(2026-10-11 取得) https://nitten.or.jp/org_profile
年表・沿革
1935
- 6月に辻永・小林萬吾・石川寅治らが帝展の改組に対して不出品を声明し、7月に旧帝展第二部の無鑑査の洋画家たちで第二部会を結成した。
- 10月に第1回展を開き、辻永らが審査員を務め、佐藤敬が《海辺裸婦》で文化賞を受けた。
1936
- 5月の総会で、帝国美術院改組の経緯を批判して帝国美術院の解消を説く批判書の草案を、会員全員の連名で可決した。
- 6月、平生釟三郎文相の試案への意見書をまとめ、代表の辻永・太田三郎が出た文相官邸の懇談会の報告を受けて、秋の文展への参加を声明した。
- 7月6日の総会で文展への参加を多数で決め、絶対反対を唱えた猪熊弦一郎・内田巌・小磯良平・佐藤敬・三田康・中西利雄の6人が脱退して、同じ月に新制作派協会を結成した。
1937
- 8月の総会で、新文展の審査員を引き受けるかを会員個人の自由とし、辻永・中村研一ら7人が審査員に任じられた。
- 9月20日の会員総会で、会の使命を終えたとして解散を決議した。
関連人物
- 代表 辻永 1935〜
結成に加わって第1回展の審査員を務め、1936年には太田三郎とともに会を代表して文相官邸の懇談会に出て、文展への参加を表明した
- 会員 佐藤敬 1935〜
設立に加わり、第1回展で文化賞を受けて会員に推された。1936年に文展への参加に反対して脱退し、新制作派協会を結成した
- 石川寅治 1935〜
帝展の改組に反対して結成された会に加わって展覧会委員になり、1935年10月の第1回展で審査員を務めた。
- 代表 太田三郎 1936〜
1936年6月、辻永とともに会の代表として文相官邸の懇談会に出た
- 委員 小林萬吾 1937〜
1935年6月に辻永らと帝展への不出品を声明し、1937年7月には辻永とともに委員の代表として文部省に申し入れた
