
Public domain
土佐光信後円融院像
0
北朝第5代の天皇、後円融院の肖像である。院は明徳4年(1393年)に36歳で没した。雲龍院は、院の没後にその墓所が定められた寺である。延徳4年(1492年)4月、没後百年の法要にあたって、雲龍院のために新たに描かれた。裏書に、画師は絵所預の光信とある。没後百年に描いたものなので、先行する肖像か、御影殿の木像を写したものと考えられている。
上部の賛は少し遅れて、明応8年(1499年)4月に加えられた。雲龍院の住持の善叙が、公卿の三条西実隆を通じて天皇の賛を願った。文案は、大内記の菅原和長が作った。後土御門天皇が自ら筆を執り、書き出しの「道」の字を書き違えて直したと伝わる。
姿は、神護寺に伝わる源頼朝の像などに連なる古い形式で描かれている。鎌倉時代の末から肖像画の主流となった、禅宗の頂相の系統には入らない。光信の筆と確かめられる、数少ない肖像画である。









