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歌川芳藤ヲランタ人遊行
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題箋にローマ字で「OORANWDAZIN」と刷ってある。
安政6年(1859年)の横浜開港のあと、外国人の風俗を描いた横浜絵が大量に出た。実物を見ずに描かれたものも多く、この図のローマ字も綴りが正確ではない。
歌川芳藤(1828〜1887)は国芳の門下で、横浜絵、美人画、武者絵、明治になってからは開化絵も描いた。この摺りはエミリー・クレイン・チャドボーンが1926年にシカゴ美術館へ寄贈した。
- 作品種別
- 版画
- 技法
- 木版多色刷/大判
- 制作年(画)
- 1861

歌川芳藤題箋にローマ字で「OORANWDAZIN」と刷ってある。
安政6年(1859年)の横浜開港のあと、外国人の風俗を描いた横浜絵が大量に出た。実物を見ずに描かれたものも多く、この図のローマ字も綴りが正確ではない。
歌川芳藤(1828〜1887)は国芳の門下で、横浜絵、美人画、武者絵、明治になってからは開化絵も描いた。この摺りはエミリー・クレイン・チャドボーンが1926年にシカゴ美術館へ寄贈した。