流派
鳥居派
とりいは
鳥居派(とりいは)は、鳥居清元を元祖、子の清信を初代とする浮世絵の流派で、江戸の歌舞伎の絵看板や番付を家業として代々描き継ぎ、元禄期から現代まで画系を保った唯一の流派とされる。大坂の女方役者で看板絵も描いた清元が、1687年に一家で江戸へ移り、1690年に市村座の絵看板を描いたのが始まりと伝わる。清信と清倍は、荒事の役者にふさわしい瓢箪足・蚯蚓描と呼ばれる力強い描法を編み出し、これが一派の特色として受け継がれた。美人画で名高い4代目の清長ののち、一派は看板絵と番付絵を専門とするようになった。
出典: コトバンク「鳥居派」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典(小林忠)・日本大百科全書(浅野秀剛)・ブリタニカ国際大百科事典・百科事典マイペディア・旺文社日本史事典、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/鳥居派-106350、コトバンク「鳥居清信」(改訂新版 世界大百科事典(小林忠)・日本大百科全書(浅野秀剛)・日本人名大辞典+Plus・山川 日本史小辞典ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/鳥居清信-106340、コトバンク「鳥居清元」(日本人名大辞典+Plus、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/鳥居清元-1136058、ja.wikipedia「鳥居清元」(2025-03-22 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/鳥居清元、JAANUS「Torii-ha 鳥居派」(Columbia University Media Center for Art History、2026-10-11 取得) https://projects.mcah.columbia.edu/jaanus/record/toriiha
年表・沿革
1687
- 大坂の女方役者で看板絵も描いていた鳥居清元が、子の清信ら一家とともに江戸へ移り、難波町に住んだ。
1690
- 清元が市村座の絵看板を描き、これが鳥居家と江戸の芝居との長い結びつきの始まりと伝わる。
1697
- このころから清信が絵入りの本や一枚絵に役者の姿を描き、荒事の役者を瓢箪足・蚯蚓描と呼ばれる描法で表して、役者絵の地位を確立した。
1768
- このころ一筆斎文調や勝川春章が役者の似顔絵を描き始め、3代目の初代清満の役者絵はそれに取って代わられた。
1787
- このころ、初代清満の没後に門人の清長が懇請されて4代目を継ぎ、家業の看板絵と番付絵に専念するようになった。
1815
- 清長の没後、初代清満の孫で清長に学んだ清峯が2代清満を名のって5代目を継ぎ、こののち一派は看板絵と番付絵を専門とした。
1929
- 7代目鳥居清忠の長男の言人が、鳥居派の8代目を継いだ(父が没した1941年とする事典もある)。
1982
- 言人の娘で、鳥居派で初めての女性の浮世絵師となった清光が、9代目を襲名した。
関連人物
- 元祖 鳥居清元 1687〜
大坂の女方役者で、看板絵も描いた。江戸に移って役者をやめ、市村座などの絵看板を家業として描いたと伝わる。確かな作品は見つかっていない
- 鳥居家初代 鳥居清信 1697〜
清元の子。瓢箪足・蚯蚓描の描法で荒事の役者を描き、一枚摺の役者絵を創始した。1729年没
- 鳥居家3代目 鳥居清満(初代) 1763〜
2代清倍の次男で、1763年に父が没して家を継いだ。看板絵・番付絵や紅摺絵の役者絵を描き、清長ら多くの門人を育てた
- 鳥居家6代目 鳥居清満(3代目) 1868〜
2代清満(清峯)の長男で、初名は清芳。明治元年に父の跡を継ぎ、芝居の看板絵や番付絵を描いた
- 4代清忠の門人 鳥居忠雅 1921〜
1943年から歌舞伎座などの絵看板や番付を描き、1970年に没するまで歌舞伎の看板を担った。1949年に鳥居の姓を許された
- 鳥居家9代目 鳥居清光 1982〜
言人の娘。父から鳥居派の画法を受け継ぎ、1982年に9代目を襲名した。鳥居派で初めての女性の浮世絵師で、歌舞伎の絵看板のほか衣裳や舞台美術も手がけた。2021年没
- 初期の代表的絵師 鳥居清倍
清信の子とも弟ともいわれ、丹絵の勇壮な役者絵や優美な美人画を多く描いた。鳥居家の2代目は、清信の門人で娘婿の2代清倍(1706〜63年)とみる説が有力
- 鳥居家7代目 鳥居清忠(4代目)
鳥居清貞の長男で、土佐派の川辺御楯にも学んだ。6代目に跡継ぎがなかったため家を継ぎ、歌舞伎座・新富座などの看板絵や番付を描いた
- 八代目
父の四代目清忠に鳥居派の技法を学び、1929年に八代目を継いだ(1941年とする説もある)。
- 五代目
1795年に鳥居家4代目の清長に入門し、清長が没した1815年に2代清満を襲名して5代目を継いだ。以後は家業の芝居の看板絵と番付絵に専心した。
- 四代目
鳥居家3代目の初代清満の門人。師の没後、江戸三座の座主らに懇請されて天明7年(1787年)ごろ4代目を継ぎ、師の孫(のちの清峯)が成長するまでの中継ぎとして、家業の芝居の絵看板と番付を描いた。自らは4代目を名のらず、寛政9年(1797年)の浮世絵にも「三代目清満門人清長」と署した。鳥居派にあって美人画に独自の様式を立てた点で、「同派中異色の存在」とされる。
