主義・運動
ラファエル前派
らふぁえるぜんぱ
ラファエル前派(らふぁえるぜんぱ)は、1848年にロンドンで、ロイヤル・アカデミーの美術学校で知り合ったハント、ロセッティ、ミレイを中心に7人の若い芸術家が結成したグループ(ラファエル前派兄弟団、P.R.B.)と、彼らから広がった芸術運動。ラファエロ以降のアカデミックな規範を退けて初期ルネサンスの誠実さに立ち返ろうとし、批評家ラスキンの説く「自然への忠節」にならって、細部まで精密に、輝くような色彩で描いた。兄弟団としての結束は5年ほどで崩れたが、1857年からロセッティのもとに集まったモリスやバーン=ジョーンズらが後期ラファエル前派と呼ばれる流れをつくり、近代デザインの源となって、象徴主義にも大きく寄与した。日本でも明治30年代に雑誌で盛んに紹介され、青木繁や藤島武二の作品にその影響がみられる。
出典: コトバンク「ラファエル前派」(デジタル大辞泉・改訂新版 世界大百科事典(湊典子)・日本大百科全書(谷田博行)・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/らふあえる前派-3174714、テート「Pre-Raphaelite」(Art Terms、2026-10-12 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/p/pre-raphaelite、ja.wikipedia「ラファエル前派」(2026-03-15 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/ラファエル前派、en.wikipedia「Pre-Raphaelite Brotherhood」(2026-09-16 版、2026-10-12 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Pre-Raphaelite_Brotherhood
年表・沿革
1848
- 9月、ロイヤル・アカデミーの美術学校で知り合ったハント、ロセッティ、ミレイが、コリンソン、スティーヴンズ、ウィリアム・マイケル・ロセッティ、ウールナーを加えた7人でラファエル前派兄弟団を結成した。
1849
- ミレイやハントがロイヤル・アカデミー展に、ロセッティが自由美術展に初めてラファエル前派の作品を出し、絵には頭文字の「P.R.B.」を書き入れた。
1850
- 1月、ウィリアム・マイケル・ロセッティの編集で機関誌『ジャーム』を出したが、売れずに4号で終わった。
- ミレイの《両親の家のキリスト》がディケンズらから冒瀆的だと激しく非難され、この騒ぎの後にコリンソンが兄弟団を退いた。
1851
- 5月、批評家ラスキンが『タイムズ』紙に投書し、非難を浴びていたラファエル前派を擁護した。
1853
- 11月、ミレイがロイヤル・アカデミーの準会員に選ばれ、兄弟団は事実上解体した。
1857
- ロセッティの指揮のもと、モリス、バーン=ジョーンズ、アーサー・ヒューズらがオックスフォード・ユニオンの討議場の壁画と天井画を手がけ、ここで生まれた仲間は後期(第2次)ラファエル前派と呼ばれるようになった。
1861
- モリスがロセッティやバーン=ジョーンズらとモリス・マーシャル・フォークナー商会を設立し、ステンドグラスや家具、壁紙など室内装飾の制作を始めた。
関連人物
- 画家 フォード・マドックス・ブラウン 1848〜
結成メンバーにはならなかったが、ロセッティの師となり、この若いグループを導く役を果たした。ローマで交わったナザレ派への共感をロセッティらに伝え、ラファエル前派の誕生のきっかけをつくった
- 兄弟団の創立会員・批評家 ウィリアム・マイケル・ロセッティ 1848〜
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの弟。兄弟団の記録係をつとめ、機関誌『ジャーム』を編集した
- 兄弟団の創立会員・彫刻家 トマス・ウールナー 1848〜
創立会員のうちただ一人の彫刻家で、詩も書いた。1852年にオーストラリアへ渡り、のちにイギリスに戻って彫刻家として成功した
- 兄弟団の創立会員・画家 ジェームズ・コリンソン 1848〜
『ジャーム』に宗教詩を寄せた。ミレイの《両親の家のキリスト》が冒瀆的だと非難された騒ぎの後、1850年に兄弟団を退いた
- 兄弟団の創立会員・美術批評家 フレデリック・ジョージ・スティーヴンズ 1848〜
自分の画才に失望して絵をやめ、1860年から1901年まで『アシニーアム』誌の美術批評を担った
- ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1848〜
1848年にハント、ミレイらとラファエル前派を結成し、その中心人物となった。
- ジョン・エヴァレット・ミレイ 1848〜
1848年9月、ガワー街の両親の家でハント、ロセッティらと7人でラファエル前派兄弟団を結成した。1853年11月にロイヤル・アカデミーの準会員に選ばれ、事実上グループを離れた(マイペディアは1855年ころとする)。
- ウィリアム・ホルマン・ハント 1848〜
1848年にロセッティやミレイらとラファエル前派を結成し、生涯その信条に従った。
- 詩人 クリスティーナ・ロセッティ 1850〜
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの妹。兄とともにラファエル前派に属し、機関誌『ジャーム』に詩を寄せた
- 美術批評家 ジョン・ラスキン 1851〜
『近代画家論』などで説いた自然への忠実さが兄弟団に影響を与えた。1851年に『タイムズ』紙への投書でラファエル前派を擁護し、その後も評論や講演で支えた
- 画家 アーサー・ヒューズ 1857〜
『ジャーム』を読んでミレイ、ハント、ロセッティと知り合い、1857年にはロセッティのもとでオックスフォード・ユニオンの壁画に加わった
- エドワード・バーン=ジョーンズ 1857〜
1857年からロセッティのもとで後期ラファエル前派を担い、その中心的な画家となった。
- ウィリアム・モリス 1857〜
1857年にロセッティのもとでオックスフォード・ユニオンの壁画に加わり、後期ラファエル前派の一人となった。
- 画家・モデル エリザベス・シダル
ミレイの《オフィーリア》(1851〜52年)のモデルとなり、1860年にロセッティと結婚した。ラスキンの援助を受けて画業を進め、1857年のラファエル前派の展覧会に女性としてただ一人出品した
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初めはアルマ=タデマやレイトンの流れをくむ古典の主題を描き、のちにラファエル前派の様式と主題を取り入れた。受け継いだのは主題と色の豊かさで、細部の仕上げではなかったとされる。没したときの『タイムズ』は、ラファエル前派の絵をより近代的なやり方で描いた画家と評し、2009年の回顧展は「近代のラファエル前派」と題された。
