
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
2006年、宮崎駿はテート・ブリテンでウォーターハウスのシャロットの女を見て、衝撃と深い感銘を受けた。ウォーターハウスは神話や詩の女性を描いたイギリスの画家で、オフィーリアヒュラスとニンフたちでも知られる。
1849年、ローマに生まれた。両親はともにイギリス人の画家で、5歳のとき一家でロンドンに移った。1870年にロイヤル・アカデミーの美術学校に入り、初めは彫刻を学んだ。
1874年、眠りと異母兄弟の死をロイヤル・アカデミー展に初出品した。初期はローレンス・アルマ=タデマの流れをくむ古代の主題を描いた。美術史家アンガス・トランブルは、1882年のディオゲネスを、考古学的な正確さを重んじた時期の終わりとみる。
1883年にエスター・ケンワーシーと結婚した。1885年には、殉教した少女の体を雪が覆う聖エウラリアが好評を得て、準会員に選ばれた。翌年の魔法円はチャントリー遺贈基金が650ポンドで買い上げ、国の所蔵になった。
ラファエル前派と結びつけられるが、彼が生まれた1849年に、兄弟団の画家たちはロンドンで初めて騒ぎを起こしていた。美術史家クリストファー・ニューオールによれば、ウォーターハウスがラファエル前派から受け継いだのは主題と色の豊かさで、細部の仕上げではない。ときに粗く、スケッチのような筆づかいは、同時代の印象派とも結びつけられる。
1890年代には、男を惑わす女を繰り返し描いた。1892年のCirce Invidiosaでは、嫉妬に駆られた魔女キルケが、恋敵のニンフが水浴びする入り江に毒を注ぐ。シャロットの女オフィーリアヒュラスとニンフたちと並べると、水は、戻れない世界への境目とも読める。
ただ、手紙や日記はほとんど見つかっておらず、何度も描いたモデルが誰かも分かっていない。
1895年に正会員となり、1901年には会員として納める作品に人魚を出した。2013年の「夏目漱石の美術世界展」は、「三四郎」で三四郎と美禰子が画帖に見入る人魚の絵として、この作品を並べた。
1917年2月10日、ロンドンの自宅で没した。画風と主題は20世紀初めに流行から外れたが、後半に関心が戻った。2009年、ロンドンのロイヤル・アカデミーで開かれた回顧展は「近代のラファエル前派」と題された。
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