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歌川貞虎

歌川貞虎

うたがわさだとらUtagawa Sadatora
5 作品

歌川貞虎(うたがわさだとら)は、文化14年(1817年)の団扇絵に「歌川貞虎左筆」と署名した。初代歌川国貞(三代目歌川豊国)に学んだ江戸後期の浮世絵師で、孝行話や名所の景色を、遊女や母子の日常に重ねる絵を描いた。

この署名を記録したのは、井上和雄編の「浮世絵師伝」である。「左筆」は左手で文字を書くことを指し、貞虎は左利きだったとみる見方がある。

文政5年(1822年)刊の合巻「江戸廼花両個助六」では、同じ国貞門下の歌川貞房と挿絵を描き、国貞が表紙を担当した。文政11年(1828年)に建てられた豊国筆塚碑には、「国貞社中」の一人として貞虎の名が刻まれている。

浮世絵師の渓斎英泉は、天保4年(1833年)成立の「無名翁随筆」で、貞虎を「双紙、錦絵多ク出セリ」と記した。「浮世絵師伝」にも、花の錦絵、美人画、草双紙の仕事が挙げられている。

合巻では、天保7年(1836年)の「千本桜後日仇討」から天保11年(1840年)の「洗髪柳春雨」まで、挿絵の画工として名が続く。その間、天保8〜9年(1837〜1838年)頃の番付「大江都名物流行競 二編」には、「右虎」の歌川国虎と対になる「左り貞虎」として載った。

貞虎の絵では、故事や名所が身近な暮らしと結びつく。見立二十四孝之内 廷堅は、母の便器を清めた黄庭堅の話を、遊女が水をあける所作に重ねたものだ。このシリーズは、公文教育研究会の解説で、英泉の「浮世二十四孝」と並ぶ江戸後期の代表作に挙げられている。

近江八景之内 石山乃秋ノ月では、石山寺の景色に、月見団子をこしらえる母子を取り合わせている。

商品の宣伝を描き込んだ絵もある。天保頃の「向嶋弘法大師境内之図」は、向島の蓮花寺で桃とりや魚釣り、相撲をして遊ぶ子どもたちを描いた三枚続で、提灯に化粧品の名「仙女香」「美玄香」が記されている。

東都名所女夫尽之内 真間女夫楓では、女の脇の冊子に「京ばし/稲荷新道/坂本氏」とある。白粉の仙女香を売り出した坂本屋も、京橋の稲荷新道にあった。

天保12年(1841年)刊の人情本「いろは文庫」第4編では、英泉とともに挿絵を描いた。翌天保13年(1842年)3月16日に没したと伝わり、生年は分かっていない。

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