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俵

俵屋宗達

たわらやそうたつTawaraya Sotatsu
4 作品

俵屋宗達(たわらや そうたつ)は、京都で絵の工房「俵屋」を主宰し、扇絵から屏風まで手がけた画家である。風神雷神図屏風に代表される金地の絵だけでなく、蓮池水禽図のように墨のにじみを生かした水墨画も残した。生没年や詳しい出自は分かっていない。

「俵屋」は屋号である。工房では弟子とともに扇面や色紙、短冊を制作し、襖絵や屏風の注文にも応じた。元和年間(1615〜24年)の京都では、その扇絵や源氏絵の評判が高かったことが、仮名草子「竹斎」に記されている。元和2年(1616年)には、後水尾天皇が別の絵師に貝合わせの絵を描かせる際、参考として俵屋絵を見せた記録もある。

書家の本阿弥光悦とは、和歌を書く紙を共同で制作した。宗達が金銀泥で鶴や鹿、草花などを描き、その紙に光悦が書を添える。金銀泥を広い面として使う下絵は、料紙の装飾に新しい表現をもたらした。

史料で確かめられる最初の仕事は、慶長7年(1602年)に修理された厳島神社の「平家納経」で、表紙と見返しの絵を描いたとみられる。寛永7年(1630年)には、宮中に伝わる「西行物語絵巻」を模写した。このときの奥書から、すでに法橋の位を得ていたことが分かる。町の絵師としては異例の位とされる。

翌年には、源氏物語関屋澪標図屏風を描いた。醍醐寺三宝院の注文とされる。古絵巻の図様を取り入れながら、主人公の姿を描かず、牛車や舟でその存在を示している。

水墨画では、生乾きの墨に濃淡の違う墨を含ませる「たらし込み」を用いた。蓮池水禽図の葉にもこの技法が見られる。輪郭線で囲わず、墨の面で形を表す描き方と合わせ、にじみによって質感を生み出した。

宗達の絵に深く傾倒した尾形光琳は、風神雷神図屏風を模写した。さらに酒井抱一が光琳の模写を写している。後に琳派と呼ばれるこの流れは、同じ家や師弟関係のなかで続いたものではない。後世の画家が先人の作品に学び、時代を隔てて受け継いだものである。

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