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本阿弥光悦

本阿弥光悦

ほんあみこうえつHon'ami Koetsu
6 作品

本阿弥家は代々、将軍家お抱えの刀剣鑑定・研磨・浄拭を家業とする一族だった。光悦もこの家に生まれ、刀剣を見る目の確かさで名を馳せたが、彼の名を不朽にしたのは刀ではなく、書と、焼き物と、漆の仕事だった。

まず筆を執らせれば、伸びやかで力強い連綿体の仮名がほとばしり出る。近衛信尹、松花堂昭乗と並んで「寛永の三筆」と称され、その大胆な散らし書きは古典の型を踏まえながらどこか自由奔放だった。友人の絵師俵屋宗達が金銀泥で下絵を描いた料紙に、光悦が和歌を書き付けた《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》は、二人の呼吸がぴたりと合った稀有な合作として知られる。

焼き物にも手を染め、樂家の窯を借りて自ら茶碗を焼いた。武骨で、それでいて堂々とした佇まいの不二山は、光悦の美意識がそのまま形になったような一碗である。漆芸でも独自の意匠を発揮し、謡曲「舟橋」の歌に取材した硯箱舟橋蒔絵硯箱は、鉛板を橋に見立てて貼り込む大胆な発想で知られる。

晩年の元和元年(1615)、徳川家康から京都・鷹峯の地を拝領すると、光悦はそこに一族や職人、法華信徒たちを集めて芸術村をつくった。陶工も紙漉きも蒔絵師も一つの土地に住まい、互いに刺激を与え合いながらものをつくる。そんな共同体を実現させたこと自体が、光悦という人物の器の大きさを物語っている。

彼が蒔いた種は、後年尾形光琳によって花開くことになる。光悦・宗達・光琳とつながる系譜は、のちに琳派と呼ばれる流れの源となった。寛永十四年(1637)、鷹峯にて没。享年80。

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